前回紹介した顕微鏡による観察スケッチ、カメラルシーダ、デューラーの透写装置、写真機の原理であるカメラオブスキューラによる描写、又は写真機、こうした描画法は単眼視覚を写すという仕組みにおいて共通している。しかし、一方にはこれと全く異なる方法、たとえば、想像で描く、記憶で描くというのがある。(想像は主に記憶により構築されるものであるから、ここでは記憶で描く、に統一してもいいだろう。)

 そうした場合、絵の対象とするのは、前者が単眼視覚であり、後者が記憶となり、絵を描く方法において、この二者は対極にあるといえるだろう。であるならば、一般的にスケッチと呼ばれる行為は何処に位置するのか。たとえばスケッチブックと水彩絵具を携え、新緑の池のほとりかなにかをスケッチしに出かけたとする。この行為は、単眼視覚が対象か、記憶が対象か。

 恐らく、多くの人は、わざわざ池のほとりまで出かけ、それを描くのだから、「その池を見なければその池を描けない」ということにおいて、視覚が対象であると答えるだろう。この場合、単眼であるか、両眼であるかは抜きにして、とにかく視覚が必須の要件であると答える。
となれば、こういう場合はどうだろう。

一時間前に見た池のほとりがあまりにも美しかったので、描きとめておこうとスケッチブックに描く。
あるいは、今しがた通り過ぎた車窓からの美しい眺めを、忘れない内に急いでスケッチブックに描きとめる。こうした場合、見るという行為は必須の要件であるが、しかし絵を描く直接の対象は記憶であるといえる。何故なら、写す対象の視覚は既にそこには無いからである。

Skech1_2 Skech2_2 Skech3_2

  現場で行うスケッチもそれと同様のものとして考えられる。車窓の風景が一定の時間をおいて繰り返されると仮定しよう。つまり列車が円軌道を周回していると考えると、対象物が視覚に戻る繰り返しが、現場においての対象物とスケッチブックの視覚の往復とにあてはまる。描く時点においては対象物の視覚は常に存在しない。そこには記憶があるだけである。

 それに反し顕微鏡による観察スケッチやカメラルシーダ、透写装置による描画法では、今そこにある単眼視覚を写すのだから、写される対象(単眼視覚)は同時にそこに在るという大きな違いがある。
 つまり、一般的なスケッチは視覚ではなく記憶が対象であるといえるだろう。現場で行うスケッチ、車窓におけるスケッチ、一時間後に行われるスケッチは総じて記憶が対象に行われ、異なるのは記憶の新鮮度だけである。

 視覚自体を対象に、それを写そうと思ったら、スケッチブックとモチーフを同時に視野に入れる必要があり、それをするにはカメラルシーダや透写装置などの特殊な器具がなくてはならないのである。なぜなら、人間は視覚をそのまま記憶出来ず、記憶されたものは視覚それ自体とは同じではないからだ。(認知心理学の実験では人間の視覚記憶は一秒以下とされている。…この一秒以下の視覚記憶とは、もしかしたら網膜残像の類ではないのか!…筆者)

 従って、単眼視覚を対象に行われる描画法と一般的にスケッチと呼ばれるものは、全く異質なものといえる。

 しかし、多くの人はこの二者を同一視する、あるいは、この違いをあまり考慮に入れない。それはどうしてなのか。
 その理由は西洋において、単眼視覚を対象とする描画法により、絵画制作が長い期間に渡り行われてきたからであろう。そこにはもちろん、カメラオブスキューラや透写装置があってのことだ。
 そうした光学機器や装置がなければ、単眼視覚を写せないし、それを写そうという発想にも至らないはずだ。何故なら、描く時点において記憶に残らない、つまり、記憶に無いものを写そうという発想自体、そもそも起こらないはずだからである。
 それが起ったのは何らかの要因、つまり、カメラオブスキューラがもたらした透視法という描画方法の発明があったからとしか考えられない。そしてその描画法は、絵とは視覚を対象にするもの、という全く新しい通念を我々にもたらした。人間は訓練すれば光学機器や装置なしで、単眼視覚を写すことが出来る、とする考えをももたらした。

 その通念の形成に基づく行為の、もっとも代表的なものの一つが、美術大学の入学試験でお馴染みの、石膏デッサンである。石膏デッサンとは透写装置なしで、透写装置から得られる効果を体得する訓練法ではなかったのか…。

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