「日本に遠近法が無かった理由」からの続き

 ここに出世欲が強く、少し狡猾な印象派の画家がいると仮定しよう。彼はいつものように屋外にカンバスとイーゼル、そして絵具箱を携え仕事に出かける。彼が描こうと考えているものは、目的地において彼の目に映るであろう木々の色彩や木漏れ日である。

 一方、平安時代の絵師がこれから描こうとするものは、寝殿造りの廊下の部分である。この時、二人の描こうとする対象は本質的に異なっている。「木々の色彩や木漏れ日」と「寝殿造りの廊下」というモチーフの違い以上に、前者は「視覚」後者は「記憶」という違いである。絵師は目に映る廊下を描きにわざわざ出かけないし、視覚という認識すらなかったかも知れない。絵師は画室にこもり、寝殿の様子を描いていく。それはあくまで対象は記憶にある「廊下」という概念であり、それ故、絵師の描く廊下はみんな(社会的)に共有されていて、絵手本にもなっていた。

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モネ

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源氏物語絵巻

 ところで印象派の画家は何故、目に写る屋外の木々の色彩や木漏れ日を描こうと現場に赴こうと考えたのか。
 少なくともその理由は二つある。一つにはサロンにおいて権威化し、マンネリ化したつまらない新古典主義などの透視法絵画を乗り越え、新しい絵を創出したかったのだ。それには暗い画室で行われる旧絵画に対し、屋外の光や色彩を描こうと考えた。
 もう一つの理由は、絵とは固定した単眼視覚を写すことが基本であるから、現場に赴いて木々の色彩を自分の目で見なければならなかっからだ。なぜなら西洋の絵は長い間そうやって、暗い画室(カメラ・オブスキューラ)を描画装置として、作られて来たからである。
 彼はその方法をよく知っていて、暗い画室を出て、大層な描画装置無しの身一つでそれをすることが、旧絵画を乗り越えるという決意の表明にもなっていた。それに視覚を写すものは複雑なフォルムではなく主に色彩であったから、描写装置で対象物とカンバスを同時に重ねなくとも比較的簡単にやれるはずである。もし、複雑なフォルムを写す必要があれば携帯用描写装置(カメラ・ルシーダ)だって持っている。

 そしてこの二つの理由の他に、比較的、些細な理由があるとすれば、それはタルボットやダゲールの化学変化による描写装置の考案である。いわゆる写真機と呼ばれるものであり、この出現により旧来の手描きの描写装置を基本とした透視法絵画の地位は間違いなく崩れ落ちるだろう。人間の機能を逸脱した長く苦しい修練を積まなくても同じことが誰でも簡単に上手に出来るのだ。現に肖像画依頼は顧客のほうから写真機の使用を望んでいる。短時間で仕上がるし、それにローコストだ。だから絵画でやっていくには屋外に出て、色彩を前面に出す必要があるのだ。

 しかし、化学変化派の進歩は目覚しい。着彩写真というものが考案され、流行る。そこで彼は取っておきのアイデアを思いつく。化学変化派には絶対に真似の出来ない、手描きの絵画にしか出来ない妙案だ。それは彼の個性、唯一性、オリジナリティを前面に出す新しい絵画である。それにこれは時代の趨勢にも適っている。

 たとえばデフォルメという技法だ。デフォルメとは事典によれば以下の通りである。
「変形。近代美術に特徴的な表現法。自然が目に見える通り描かれず、作者の主観によって変形、取捨選択され、印象の誇張、個性の発揮を目的とする技法。」(現代百科大事典 保育社)
この定義からは色々興味あることが見て取れる。まず彼が旧絵画を如何に認識していたかである。彼は旧絵画=透視法絵画をデフォルメにより乗り越えようとしたのであるから、「目に見える通り描かれず変形する」とは、透視法絵画を「変形されずに目に見える通り描かれた絵画」であり、個性が乏しいと認識していたのだろう。

 しかし、透視法絵画は本当に「目に見える通り描かれた」といえるのだろうか。「単眼視覚を写し取った」とはいえるだろうが…。
 彼のそうした認識が最初の誤りである。つまり、手描きの写真=透視法絵画は固定した単眼視覚を写したものである。だからそうして描かれた絵は単眼視覚と同じものができる。しかし、その絵は「見える通り」描かれたものでは無くて、手描きの写真が描かれたことによって、初めて、単眼視覚と同じものである(同じ世界がそこにある)と認識されたのだ。順序が逆なのである。
 描写装置という人間の機能の外部にある光学機器により、単眼視覚像(見えた通りの世界)が始めて認識、概念化されたのである。だから手描きの写真が存在しなかった平安時代の絵師は、廊下をハの字には描かなかった。そして遠くに行っても平行を保っている寝殿造りの廊下が、廊下の概念としてみんなに共有されるのと同じように、ハの字は概念化され、共有されるのである。従って、この図像は視覚という感覚を再現したものでは無く、既に概念化されているのである。だから、今となっては廊下のハの字は記憶だけで、あるいは想像で描けてしまう。

 次に彼はもっと重大な誤認を犯す。「見える通り」の形を「主観」を持ち出し変形するというのだ。彼は「見える通り」描かれたという手描き写真の図像を、視覚という感覚によって捉えた世界が再現されていると理解し、つまり、そこに実在としての客観的世界(リアリティ)を想定し、そのフォルムを客観と対置する主観(オリジナリティ)によって変形するというのだ。

 しかし、これはどこかおかしな話である。たとえば彼が荒涼たる荒野に立ち、それを描こうとする。彼は個性を発揮するため、風景を見ることによって彼が感じた「荒涼感」を強調しようと考え、見えた風景に変形を加える。デフォルメである。たとえば枯れ木と思っていた木をよく見ると新芽が出ており、これは「荒涼感」が薄れるので描かないでおく。「取捨選択」である。

 このことは、実在としての客観であるはずのこの見たままの風景には、最初から意味が読み込まれているということになる。そしてその意味とは「荒涼」であり、新芽がそぐわないというのも含めて、これらはみんな(社会的)に共有される概念ではないのか。その概念に合わせ風景を見、そしてそれに則して変形する。

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信貴山縁起絵巻

 あるいは、驚く人を強調してデフォルメする場合、たとえば、一様に見開いた目をもっと大きく見開かして描かれるのは何故か。それは「驚く」という概念を伴った「大きく見開いた目」という図像があらかじめ、みんな(社会的)に共有されているからではないか。共有されているから「驚く」という意味が生じる。従って彼が「驚く」を強調して目を大きく描くのは、客観に対置する主観によるものというのはおかしいだろう。つまり、彼の主観、個性、唯一性、オリジナリティに基づいて目を大きくデフォルメしたというのは彼の思い違いだということだ。 

 こうした彼の誤認により、この先100年以上も我々は、ややこしい問題に煩わせられるのである。にほんブログ村 美術鑑賞・評論

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