Osake

 皆さんは、お酒を飲み過ぎ、その時の行動がどうしても思い出せない、という経験があるでしょうか。
 私はそうした経験はあまり無いのですが、そういう話はよく耳にします。

 実は昨日、飲み会に誘われ飲み慣れないワインやシェリー酒を、次の日に少し影響を及ぼす程度、飲みました。私は記憶のほうは問題ありませんでしたが、次の日の朝一に電話してこられた、同席したH.Oさんいわく、彼の記憶が途切れているらしいのです。

 私は最終バスに乗るため中座したのですが、その時、酔っているとはいえ彼は極普通でした。そして彼はそれからも、極普通にお酒やお料理を楽しみ、会話を楽しみ、あるいはスマートフォンからメールを入れ、タクシーに乗り、マンションに戻り、ベッドに入ったということは確かでしょうが、朝目覚めるまでその一連の行動が思い出せないといいます。メールが送られているのに送ったことを、帰宅途中誰かと一緒だったのか、一人だったのか、それは何時頃だったのかなどです。

Ho

 彼はそつの無い行動をしていたのだから、その時は意識も正常だっただろうし、理性的であったでしょう。おそらくお酒の影響でその時の記憶が、ある時からある時まで失ってしまったか、記憶として取り出せなくなってしまったと考えられます。
 であるならば、その失った記憶、あるいは取り出せなくなった記憶とは具体的にどういったものなのでしょうか。

 私はお昼頃、徒歩10分くらいかけて、いつもはあまり利用しない銀行へ行きました。このつい先ほどの行動は一般的にいって記憶されているといえるでしょう。しかしその記憶を取り出す、つまり銀行にいった時のことを思い出す場合、言葉や図像で大体のことを説明することは出来ますが、それはビデオ映像を再生するようにはいきません。たとえばカウンターで対応してもらった女性行員をビデオ映像を見るようには思い出すことが出来ません。顔かたちやその表情、ヘアースタイル、彼女の制服の具体的な色や質感。(それは紺か黒のワンピースだったと思いますがその程度です。)彼女と交わした会話は一言一句思い出せますが、その声の質感やトーン、イントネーションは鮮明には思い出せません。

Ginkou

記憶にある彼女はビデオ映像のようにではなく、もっと空ろで印象的で抽象的です。
抽象とは辞書によると「事物または表象からある要素・側面・性質をぬきだして把握すること。」とあります。
 まさに記憶とはこうしたものなのでしょう。そしてこの抽象性とは、「笑顔がチャーミングだった。」などの言葉という側面とものの形、つまりイメージがあります。イメージの場合、彼女の顔かたちが抽象され、一種の図像として記憶されるように思います。カウンターごしにいる彼女の顔かたちから、ある要素、側面、性質をぬきだし、抽象化されるのです。つまり似顔絵のような図像みたいにです。

 そしてそう考えるなら、言葉は社会で共有される、いわば公共のものであり、そのことから記憶される抽象化されたものの形、イメージも、社会で共有されるいわば公共のものであるといえないでしょうか。犯罪捜査で用いられる似顔絵の効用がそのことを示唆しています。
 つまりお酒を飲みすぎて取り出せなくなったH.Oさんの記憶とは、完全に彼の私物、占有物では無いといえ、社会で共有される公的なものから構成されているといえるでしょう。

Inu

 人間以外の高等動物には感覚記憶があると主張する研究者が多数います。霊長類の観察によると、彼らは記憶力がとても優れているといわれており、視覚記憶はビデオ映像を再生するように取り出せるのではないかといわれています。この場合、視覚記憶は皆に共有されておらず、まさに彼の唯一のものであり、占有物といえるでしょう。

 だからお酒を飲みすぎて取り出せなくなった我々の記憶なんて、そんなに大したものではないという気もします。

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