私が仕事場として使っている粟田口の工房は、かなり古い木造建築である。大正元年に祖父がここに移って金箔工房を始めたと聞くから、少なくとも99年は経つ。そして祖父がこの家を建てた訳ではないから、悠に100年以上、ひょっとしたら150年くらい前の代物かも知れない。150年前だとしたら、1861年(万延2年・文久元年)であり、それは幕末である。そして京都にはこうした古い町屋がかなり残っているのだ。

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 こうした古い家に住まうのに、一番気掛かりなのは地震である。耐震補強など何もしていないこの家は、大きな地震が来た場合、逃げ出す前に完全倒壊するのではないかということだ。それが一番怖い。特に阪神淡路の震災以来、その不安が一挙に高まり、二階の作業場にはヘルメットと懐中電灯、靴、防塵マスク、それに5トンジャッキが備えてある。それは逃げ出す前に倒壊し、その時点で生きていたなら、火が迫ってくる前にそこから素早く自力脱出を試みるためである。

 こうした家は当然、近代建築工法以前のやり方で建てられている。つまり建築基準法以前のやり方である。
 その大きな違いは筋交いが全く無いのと基礎工事の考え方が今とまるで異なっているということだろう。工房の床下は土がむき出しであり、その上に枕木状の石が何本か並べられ、その上に家がポンと置いてあるという状態だ。つまり地面と家は固定されていないのである。又、梁や柱は釘や金具で固定されておらず、ほぞにより組まれているだけだ。
 片や、硬くならした砂利の上を、鉄筋をいれたコンクリートで固め基礎を作り、その基礎から突き出たアンカーボルトで柱をしっかり固定し、筋交いを入れ、そして柱、梁、筋交いを頑強な金具でガチガチに固定するといった近代工法とは180度異なっているといえるだろう。

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石の上にポンと置かれた工房の柱

 それ故、建築基準法の耐震強度をクリアすべく耐震補強した場合、こうした古家は費用がより高く付くといわれている。
 しかし、本当に我が工房は前近代的な未開の住居であり、近代工法はより進んだ優れた工法なのだろうか。
 建築に関しては全く門外漢の私だが、ここに素朴な疑問がある。強い揺れに対して、地面と建造物が固定されている場合の方が、固定されていない場合より倒壊の危険が高まるのではないかという素朴な疑問だ。つまり固定されていることにより、地面の動きが100%建物に伝わり、その負荷が何処かに集中すれば一挙に倒壊するのではないか。あるいは地面が地震により盛り上がったり沈み込んだり、前後左右にねじれたりした場合、(こんなことが起こるのかどうか詳しくは知らないが、)地面と建物が固定され一体となっていた場合、一溜まりもないではないのか、という素朴な疑問だ。

 工房の近くに南禅寺がある。その三門は非常に巨大だ。以前の三門は応仁の乱により焼失し慶長10年(1605年)に再建されたとあるから、406年間ここにあるということだ。

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 そしてこの建造物は地面に固定されてはいない。石の上に置いてあるだけだ。そして筋交いは見当たらないし、釘、金具も見当たらない、ほぞで組んであるだけである。この仕様は我が工房と同様、ガチガチ固定の近代工法と考え方が180度異なるのだろう。もしかするとこの仕様は、揺れに対しての負荷の分散になっているのかも知れない。

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筋交い、釘、止め金具などは見当たらない。

 ところでこの三門は耐震補強がなされているのだろうか。見た限りでは、なされていないようだが、文化財だから目立たないようにしてあるのだろうか。もし、そうであるとしたら、その耐震補強とは180度異なるガチガチ固定補強なのだろうか。重ねてそうであるとしたら、その補強が科学的、実証的見地から冷静なデータ比較により、導き出されたものであることを切に願うばかりである。

 なぜなら文明開化において、何の根拠も論証も無く重要な文化を未開の業として切り捨てられた過去の記憶が、あるいは敗戦後、ウォルト・ディズニーのミッションにまんまとハマり、幼かった私は何の根拠も考えも無く、郊外の芝生に囲まれた洋風建築での生活を漠然と夢見、町屋での生活を呪った記憶を持っているからである。

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