現実(リアリティ)とは実在という意味を含み、その人が寝ていようが死んでいようがその人の状態に関係なく、厳然とそこに存在する普遍の現実世界というニュアンスを持っている。西洋由来の概念だ。一方、かつて日本においては現実とは現(うつつ)であり、それは「(寝てはおらず)起きている状態。(死んではおらず)生きている状態。」と解され、それぞれの状態の境界は重層なグラデーションを持つ墨線で引かれていた。

 外部世界の情報は感覚受容器によって信号化され、脳内のニューラルネットワークで処理される。つまり、我々が知覚する現実世界の総ては脳によって処理されたものである。又、意味性を構築する言語野は言語を代表とするソフトウェアーで稼動し、まるでクラウドシステムのように個々の脳がソフトによって繋がれ、現実世界という客観性を担保する。
 つまり現実世界のあり様は継承されたソフトという文化的要因、あるいは日常的に生じるハードウェアーの誤作動によるソフトの読み違えという多重性を見るべきであり、絶えず変容するものと見るべきだと思う。

 かつて私は幽体離脱といえるだろうドラスティックな現実の変容を体験したことがある。この現象も古くは宗教的な根を持ち、意味付けされ、語り継がれる文化的要因を持つものといえるのではないか。

 それは真夜中、作品の制作途中に起きた。その頃私は肉体的に限界に達していたのだろう。80年代後半は世の中は正にバブリーであり、金箔工房の仕事も忙しく、又、展覧会も年に2回の割合でこなしていた。
 金箔の仕事を終え、家に帰り食事して風呂に入り、仮眠をしてから午前1時頃に起き作品を制作する、そして早朝工房へ出向く…。こうしたことを数年間続けていた。つまり走り続けていたのである。
 そしてその時の作品たるや幅5m、高さ2m、奥行き1mという馬鹿でかいもので、それはアトリエの受容量を遥かに超えていたのだ。アトリエの広さは約12畳で、天井までが210cmだった。

Painted_cube
PAINTED CUBE

 ベランダの窓から外に運び出せるよう設計し、四つのパーツに分けた。つまり、とにかくアトリエで作れ、そこから運び出せるぎりぎりのサイズだったのである。何故なら当時、馬鹿でかい作品制作が、特に関西で流行っており、皆、競うように作っていたからだ。もしかして、うまくいったなら、次はベニスに招待されるかも知れない。現に同じ展覧会の出品者であった森村さん達はベニスに行った…。

 合成樹脂でモデリングするための25mmの角材と2mm厚のベニアからなるベースを組み立てると、アトリエはまるででかい家具がぎっしりと並ぶリサイクルショップの倉庫のようだった。天井にある光源はでかい家具に遮られ暗かった。作業をする細い通路から見えるように制作スケジュールが示された手作りのカレンダーが貼ってある。どう見ても遅れている。搬入日には完成していなければならないのだ。私は焦っていた。この日までにはどうしてもベースを作っておく必要があるのだ。
 合板を断ち切るための長い柄が付いたカッターでベニアを切り、タッカーで組まれた角材にそれを打ち付けていく。そうするうち運が悪いことにタッカーが壊れてしまった。

 私はタッカーをあきらめ、15mmの釘を口に含み、ハンマーを手に持ち替えその作業を続けた。効率のためどんどん口に含む釘の量が増えていった。

 午前3時頃だったろうか、私は疲労の極に達していた。思わず口に含んだ釘を飲み込んでしまったのだ。というより、喉の途中まで釘を飲み込んだのだ。「ゴックン」で胃に達するとするならば「ゴッ」の状態であり、「クン」で胃に達するほんの直前だった。そこにある釘はかなりの量だと思われた。そしてこれはかなり苦しい状態だ。というのも「ゴックン」とは飲み込むためのまとまった行為であるのにも拘らず、それを途中の「ゴッ」で無理に止めているからである。「クン」を続けられればどんなに楽であろうか。しかしそれはかなりの量の釘が胃に達することを意味している。

 私はここから今までの作業を中断し、釘を取り出す作業に専念せねばならなかった。色んな方法を考えた。胃の内容物と共に吐き出そうとしたがダメだった。吐き気がもよおせないのだ。指を突っ込んだり、あるいは細い針金で掻き出そうとしたが、いずれも釘を奥に押し込む恐れがあった。下で寝ている妻に助けを求めようともしたがその後の成り行きを考えると躊躇した。その時、「バン」という大きな音がして振り向くと大きな円形の絵の具パレットが真っ二つになり床に落ちていた。親指を入れる穴にヒートンで壁に掛けてあったのだが、パレットが落ちたから真っ二つに割れたのではない。真っ二つに割れたから床に落ちたのだ。

 一時間も格闘していただろうか、ある方法で釘が口の方へ動いた感触があった。これだと思い、この方法の効率のよい体勢を模索した。土下座の姿勢で床に思い切り頭を打ち付ける方法だった。数十分それを続けたように思う。20本くらいの釘が出てきたのだ。そして「クン」を我慢する限度が過ぎ、私の脳はもう喉には釘は残っていない、あるいは2~3本あっても大したことはないとする考えが大勢を占め、私は「クン」の強行を決心したのだった。そして幸いにも釘は残ってはおらず胃に至る感触はなかった。しかし、私は真夜中に一人で何をしているのだろうか…。

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 私は疲労困憊の極地でアトリエの隣の四畳半の和室の布団に倒れこんだ。しかし苦境は終わらなかった。正にこれからだったのである。
 しばらくしてまどろみ始めると、今迄経験したことのない強烈な金縛りが、今迄経験したことのない恐怖心と共に襲ってきたのだ。どうして金縛りは往々にして恐怖を伴うのだろうか。
 それは教科書にあるような典型的な金縛りだった。耳鳴り、幻聴、幻覚のフルメニューの金縛りと格闘し、そしてどれ位の時間が経過したのだろうか。突然眩い光が周りを取り巻き、光の粒子と共にかなりの上昇感覚があった。この上昇感の記述はよくあるものだが、体験するのは初めてだった。「これか!」と思ったと同時にスタンリー・キューブリックの2001年宇宙の旅のラストシーンを思いだした。キューブリックはこの上昇感を表現したかったのに相違ないと思った。

 それからあたりは平静になった。そして目の前15cmくらいの所に何か物体があり、その物体の模様、木目模様から察して、それが四畳半の和室の天井だと気付くのに1分くらいかかった。

 アトリエの天井までの距離が210cmだから、和室の天井もそれくらいあるだろう。その天井をこの近さで見るのは初めてだった。そしてその天井と反対方向を見るとまぎれもない四畳半の和室があった。見慣れた部屋だがこの角度と距離から見るのはやはり初めてだった。そして布団の上にはあられもない姿で私が横たわっていたのだ。死んでいるのかと思った。
 私はこの光景を出来る限り記憶しようと思った。布団や枕の位置、テレビの位置、家具、横たわっている私の服装などである。

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 それから外の光が差し込む暗い古びたお堂のイメージがあったり、窓の外で小鳥の囀る音、人のざわめき、朝日の差し込むイメージがあったりして、夜が明けたのかと思ったがその時旧ソヴィエト製の古い映画が頭を過ぎった。夜、三人の神父が魔物に取り囲まれ、安全な教会で一夜を過ごすという映画で、一人の神父が窓から差し込む朝日を見て夜が明けたと思い、教会の扉を開くと、そこはまだ夜であり、魔物が教会になだれ込むという話だ。
 このあたりから通常の夢であるといえるものとなり、そして夢も見なくなり目が覚めるといつもの現実世界があった。

 私は忘れない内に早々、折りたたみ梯子を四畳半の和室に持ち込み、梯子を登り天井と部屋をその距離と角度から見た。15cmの距離から見た天井は何となく違うものだと思ったが確信は持てなかった。部屋もそうだった。枕や布団の位置は幾分違ったが、その後動かしたのかも知れない。しかし決定的に異なるものがあった。それは洋服ダンスの天板である。

 普段見えない洋服ダンスの天板の上に随分以前に通販で買った東宝映画「妖星ゴラス」のポスターの復刻版があったのだ。あの夜、これがあったなら必ず気付いているはずである。

 …私の体験はいわゆる幽体離脱として通用するだろう。しかし一般的な幽体離脱の概念は否定できると思う。もし、あの晩見た部屋と翌日確かめた部屋が全く同一であったなら、厳然とそこに存在する普遍の実在世界と、それに対をなす、物質としての肉体から離れた霊魂(意識)という図式が成立するのかも知れない。しかし一方が食い違っていたならこの図式は成立せず、従って普遍の実在世界と霊魂の双方とも否定、懐疑できるはずだ。

 これはあくまでも疲労によるハードウェアーの誤作動であり、その誤作動は過去何度も繰り返された継承されたソフトウェアーの読み間違いの一つのパターンとして現れる現実(うつつ)の変容なのだと思う。…これが私の感想だ。
 しかし、一時的な誤作動による変容は多くの場合長続きしないし、一般化もしない。変更とまでは至らないのだ。

 私はソフトウェアーの組み換え、あるいは更新により現実世界の変容が一般化出来るのではないかと思っているし、実際に今までに何度か大きな変更が起こったと考えている。そしてその組み換え、変更に大きく拘っているのが人が創る創作物、つまり、絵や立体作品だ。あるいは文学や音楽もそうなのかも知れない。

 因みに私の馬鹿でかい作品は、どうにか完成にこぎ着け、美術館で組み立て、幾分乱暴な話だが、私はその全貌を始めて見たのである。
 作品の前方約1.5mの一点に集中点を持つ逆遠近法になっている。それは遠近法、つまり一点透視法の出現によって、現実世界の大きな変更の一つが起こったと思うからであり、それを組み替え、更新したいと思っての知覚に対する一つの実験だった。 
 私としては苦労して作った割りにはなかなかの出来栄えだと思うのだが、一様に作品評は惨憺たるものだった。

不思議な話(共時性)
http://manji.blog.eonet.jp/art/2012/03/post-523b.html

不思議な話(ごあいさつ)
http://manji.blog.eonet.jp/art/2012/03/post-2cb0.html

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