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 前回「クールジャパンについて」で取り上げた、芸術創作における、日本と西洋の原理の根本的違いについて述べようと思う。何が如何違い、そして何が対立するのか。

 対立するのは日本の明治以前の創作原理と、明治の開国を期に取り入れた西洋近代美術の創作原理である。
 この両者は根本的に異なり、そして異なるばかりではなく、正面からぶつかってしまうのだ。

 それを簡単に言ってしまえば、日本の創作原理は「写し」「見立て」であり、基本的にお手本を写すことにより新しいものを創っていく。それに対して西洋は「再現」だ。そして何を「再現」するのかというと、主体である個人が知覚した実在する世界をである。つまり、個人の目を通した自然であり人物であり出来事などであり、従って、作られた作品は作った個人を介した唯一無二のものとなる。

 それぞれの作品はそれぞれの作り手を介した唯一無二のものであるから、それ故、それを他の作り手が写すことなどあってはならないのだ。つまり、この考えはオリジナリティーと呼ばれ、それを犯すと盗作、贋作、偽物とされ忌避されるばかりではなく、実際的には著作権法に触れる違法行為となり、地位や名誉や金品が剥奪されるというペナルティーが待っている。

 しかし日本においては、少なくとも明治まで、全ての作品は他人が作った作品=お手本を写すことにより創られていたのである。
 たとえば国宝の風神雷神図屏風は三体ある。宗達、光琳、抱一の手によるのだが、それぞれがそっくりなのは、抱一の作品は光琳を、光琳は宗達の作品を写すことにより創られたとされているからだ。それでは宗達の風神雷神がオリジナルかというとそうではない。風神雷神像は一つのキャラとして中国大陸を渡り、写し写され伝わってきたものであり、発祥はインド・イラン語圏であるとされている。

 あるいは絵巻の創作も写し、写本に依っているし、狩野派、土佐派の創作も「粉本」というお手本の臨画に基づいてなされている。そもそも写生というものは存在しなかったのだ。そして書や工芸、和歌も又然りで、現代において和歌創作原理である「本歌取り」を文字通り行えば間違いなく著作権法に触れるだろう。これが両者の根本的に異なる点であり対立するところだ。

 そうした創作原理、あるいはその創作原理により作られた作品を西洋の近代美術を見知り、取り入れるにあたり、まるで恥ずかしいものであるかのように、あるいは元より悪しき習性を包含しているかのように、明治政府は蓋をし、封印し、改変していく。その結果、全国統一された教育を通じて、特に美術の分野は悉く西洋化されていくのだ。お手本を写し作品を創るなど未開の文化でとんでもないものだと…。それにより現代において、創作原理の「写し」「見立て」は表立っては行使できないものとなってしまった。

 それ以降、現代に至る表のメインカルチャーは、主体である個人が知覚した実在する世界を再現するという建前を信じ、オリジナリティー偏重の西洋近代美術と姿を変えるのだが、それと同時に海外から日本の現代美術は悉く無視されていく…。
 しかしここでもう一度考えなくてはならないのは、19世紀ジャポニズムとしてヨーロッパに受けまくったのは「写し」「見立て」を基盤にするいわゆる前近代的文化だったということである。そしてこの創作原理は「再現」に比べ数倍の長い歴史を持つということだ。

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 かくして「写し」「見立て」を基盤とするいわゆる前近代的文化は駆逐されてしまう。しかし全部が全部、駆逐されたかというとそうでもない。こうした強力な動向を掻い潜り、細々といえども現在において継承されている分野がある。それが私が従事する伝統産業の分野である。

 伝統産業の分野がいわゆる前近代的文化であるというのは、その定義として法律により定められているからである。
 伝統産業振興法によると、伝統産業の定義は、少なくとも100年以上の材料と技法を継承、維持し、その地域の産業であるということになっている。
 つまり100年前の材料、技法の頑なな維持とは、明治以前の創作原理が行使されていることを自ずと意味している。だがしかし、この定義は同時に、100年前の形にじっと留まっていれば保護してやる。…と読めなくもない。つまり、文化的遺産の保存が主眼であり、そもそも始めから振興すべき成長産業としてカウントされていないということかも知れない。

 しかしそうであろうとも、生き長らえていることは重要だ。ここに来てクールジャパンとして伝統産業、つまり伝統工芸が海外から受けているという実感が確かにあり、それが19世紀ジャポニズムの再来に繋がる可能性は0ではないと思うからだ。
 そして今回のクールジャパンを19世紀ジャポニズムに関係付けたい理由がもう一つある。それは今回のクールジャパンの中心的要素であろう、もう一つの分野であるマンガとその周辺の文化の存在である。

 言えることは、マンガやアニメなどの創作原理はメインカルチャーである西洋近代の「再現」とは大きく異なるという点だ。そしていわゆる前近代的創作原理である「写し」「見立て」に非常に近いということだ。同一原理で創られるといっていいかも知れない。(これに関しては「点目の記号論」参照)

 つまり、19世紀ジャポニズムは何故生じたかということだ。19世紀ジャポニズムは美術、工芸に留まらず幅広いジャンルで構成されていたのだ。その幅広いジャンルに通低していたものはその創作原理であり、それはヨーロッパが持たないものであり、それが彼らを魅了させたのではないかということだ。そして今回のクールジャパンには明治政府が推し進めた近代美術を踏襲した美術などは含まれず、マンガとその周辺が魅了されているということだ。
 そのことにおいてクールジャパンは19世紀ジャポニズムの再来と言えるのではないかと思う。何故なら両者はその創作原理において共通性を持つからである。

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