視覚実験をしました。

 まず、A4サイズのコピー用紙を用意します。そのコピー用紙の中心点に交わるように赤のマーカーで縦に太い線を引きます。
 その線の真ん中、つまりコピー用紙の中心点に押しピンを置きます。
 次にその押しピンの各8cm離れた線上に2個の押しピンを置きます。これで計3個の押しピンが赤い線上に並ぶことになります。

Photo

 真ん中の押しピンから25cm離れた位置、そしてコピー用紙から3cm浮かせた位置に目を持ってゆき、両目で真ん中の押しピンを見つめます。

Photo_3

 上の画像は写真機でその状況を再現したものです。左右の目の位置からそれぞれ真ん中の押しピンに焦点をあて撮りました。つまり左の画像は左目が見た押しピンで右の画像が右目で見た押しピンです。

 この二枚の画像を平行視で融像してやると三つの押しピンの前後関係がはっきり現れます。つまり立体視でありこれがステレオスコープの原理です。

 真ん中、あるいは手前の押しピンが一つに重なるよう輻輳(寄り目)の状態を作ってください。すると三つの押しピンの前後関係が立体的に見えてきます。

 これは何か一点を見つめた時、左右の目は7cmくらい離れているので、それぞれ見える角度が若干異なっています。それは上の画像の通りです。これを一つに纏めた時、脳は前後関係という情報を感覚として作りだすのでしょう。
 人間の脳が持つ両眼視機能を、この立体視、ステレオスコープが原理的に再現していると言えます。

 …と言いたいところですが、実際の視覚と立体視、ステレオスコープの見え方は全く異なっています。立体視、ステレオスコープでは一本の赤い線上に三つの押しピンが並び、それぞれの押しピンは手前にあるものは手前に浮き上がり、後方にあるものは後方に沈み込んで見えるのですが、実際の視覚はそうはなりません。

 実際の視覚では、真ん中の押しピンを見つめた時、それは真ん中の押しピンを一つに融像した時といってもいいのですが、手前の押しピンと後方の押しピンはそれぞれだぶって二つに見えます。つまり真ん中の押しピンを見つめた時、押しピンは合計5つに見えるのです。そして赤い線は真ん中の押しピンを交差点としてXを描いて見えるのです。

Photo_4 

 手前の押しピンを見つめた場合でも、真ん中の押しピンと後方の押しピンはそれぞれだぶって合計5つに見え、赤い線は手前の押しピンを交差点としてX状に見えます。
 このことから立体視、ステレオスコープは実際の視覚、両眼視機能を再現していないということになります。

 まず片目で見た場合、それは片目ですから遠近情報は削がれており、写真の画像と一致すると考え勝ちですが、そもそもそれが間違っているのかも知れません。
 自然の両眼視覚では注視点である真ん中の押しピンだけが融像されており、残りの視野は融像されていないのです。従って残りの押しピン、あるいはその他の視野は複視(重なった状態)の状態であり、尚且つ、知覚の精度は網膜の精度により注視点に比べ格段に劣っています。これは前回の実験の通りです。
 一方、立体視、ステレオスコープの場合は、注視点を含めた全部の視野において既に融像されており、従って注視点以外の視野は複視の状態にはならず、視野全体で奥行き関係やものの位置関係が知覚できます。言い換えれば、真ん中の押しピンを注視するだけで視野全体の奥行き関係、位置関係が一度に把握できるということです。

 …となれば、 自然の両眼視覚では遠近を把握できるのは融像が可能な注視点のものだけであり、この場合は真ん中の押しピンだけであり、視野にある他のものの遠近関係、あるいは位置関係はこの時点では把握されていないということになります。そしてこの把握をするには視点(注視点)の移動が必要であるという推測が成り立ちます。
 立体視、ステレオスコープの場合においても視点の移動はでき、このことから注視点とその他の視野という関係は成り立つと思います。そして網膜の精度の関係により、視野は注視点に比べ知覚の精度は劣るのですが、視野全体は注視点の移動と関係なく、既に融像された状態ですから、自然の両眼視覚の視野と比べ精度が高いといえるでしょう。

 そうした観点からいえば上の二枚の画像は左右の目の見えを再現などしてはいないということになります。それでは何が異なり、実際の視覚と立体視の視覚が異なるのでしょうか。

 写真の画像はその光景を一瞬に平面に落としこまれたものですが、片目の視覚はその点が異なります。そして写真の画像はその平面全体に精度が一様ですが、前回も言いましたが、網膜の精度はかなり偏っています。
 つまり片目が見るものは注視点の一点であるといっても言いすぎではないという気がします。そしてその片目が二つ合わさり、奥行き知覚という両眼視機能が得られる場合においても、知覚できるのはそれぞれの片目の注視点の一点であるということが上の実験から示唆されます。自然の視覚においては写真とは異なり、その光景の把握は視点の移動が不可欠なのではないかということです。

 こうしたことから写真の画像と片目の視覚とは根本的に違うものではないかということです。そして透視法は原理的に手描きの写真と言え、それが透視法は視覚に則しているとは一概には言えない所以です。

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