朝日新聞は10月30日配信の記事で、日展「書」篆刻部門において不正審査が行われていたと報じた。不正審査が行われたことを示す文書を入手したというのだ。
 その文書とは2009年の入選者が公表される直前、10月15日に審査主任が書いた手紙で宛先は日展顧問であり書道界の重鎮とされる古谷蒼韻氏だった。

 手紙の内容は、会派別に入選者数の配分を昨年通り厳守するようにという古谷氏の指示が、とどこおりなく追行されたという文言とその配分表だ。配分表には有力8会派ごとの応募数と入選数が記され、過去5年分の会派別の応募数と入選数の一覧も添えられていたという。

 記事は毎年1万人以上が応募する国内最大の公募美術展への信頼が揺らぐのは必至だと締めくくっている。
 それを受けて日展トップの寺坂公雄理事長が記者会見で謝罪し、調査委員会をつくり篆刻部門だけでなく漢字やかななどの他部門の審査を調査し、文化庁に報告すると約束した。又、古谷蒼韻氏は退会を申し出たという。日展を辞めるということなのだろう。

 なるほどこうした審査は詐欺的行為といえるのだろう。有力会派別に入選者が割り当てられることなど知らない一般の応募者からすると、(そうした人が何人いるのかは知らないが…)応募に必要な費用一万円や作品の往復運送代、それに制作に費やした労力、あるいは今までの夢が空しく消えていくのだ。それはそれに賭けた労力が始めから公平な舞台ではなかったからだ。
 又、こうした不正は日展に与えられている公益社団法人という法人格において問題なのだろう。公益社団法人とは基本的に社会の公益を目的とするものであり、法的に優遇されている。例えば法人税の免除だ。
 今年は1万3919点の応募があったのだから少なくとも応募費だけで1億3千9百19万円の収入がある。そして巡回において得られる入館料などを入れれば結構な収入なのだろう。それが毎年そのまま入ってくる。そうした団体だから襟を正す必要がある。
 だから「報道は青天のへきれき。改革しないと今後の日展はありえない」という寺坂理事長の弁に繋がるのだろう。

 …しかし私はここにこの問題の本質があるとは思えない。
 もし、日展を一つのサークル活動と思えば、こうした審査方法を用いても勝手ではないか。参加する人はそれを知った上で、入選するにはまず会派に属する。そして入選してからもある手続きを踏んで幹部にのし上がる。こうした手続きを知らず間違って入ってこようとする人がいるかも知れないが、このサークルに入りたいと真剣に思うならばこの手続きを知ればよい。古谷氏はそう思っていたのではないか。

 何が問題かというと、日展というサークルが大きな権威を持っていることである。そしてその権威は日展内部の人たちが営々とその努力の積み重ねで築いてきたとは到底思えないのだ。
 それは国が与えたものであり作ったものである。従ってこの顛末に先んじて謝罪するのは文化庁であり文科省であり、それを放置した大臣だと思う。寺坂理事長や古谷氏がいくら謝罪して改革を言おうが何も変わらないと思うし、変える必要もないと思う。ただその権威を国が与えるのを止めればよいだけであり、後は法律と規範に反しない限り何をしても自由だ。それは日展のそもそもの特質であり、その特質に権威を与えたのは国だからである。

 その権威の根源は何と言っても日本芸術院にあるだろう。日本芸術院は国の機関であり、従って芸術院会員は非常勤の国家公務員である。寺坂公雄日展理事長もそうだし古谷蒼韻氏も芸術院会員だ。その職務は一つに芸術上の功績顕著な芸術家の優遇に関すること、つまり芸術院賞などの選定や芸術院会員の候補の選定だ。又、芸術の発達に寄与する活動並びに芸術に関する重要事項を審議し、これを文化庁長官に進言することとされている。その対価として一人につき年間250万円が支給されているのだ。もちろんこれは我々の税金だ。つまり芸術院会員になることとは権威の他に権力と日本の芸術の最高峰としてのお墨付きが国から終生与えられるということである。

 それではこの芸術院会員はどうやって選ぶのか。それは芸術院会員が合議により推薦するのである。

 平成25年10月25日現在の日本芸術院会員は第一部美術 日本画・洋画・彫刻・書に限定すると40名おり、40名中25名が日展所属なのである。
 その所属の内訳は日展ー25名 院展ー5名 独立美術ー3名 二紀会ー3名 創画会ー1名 国画会ー1名 新制作協会ー1名 立軌会ー1名である。書は3名で3名とも日展である。無所属や現代美術系は0である。ここに草間彌生や村上隆、大友克洋なんかが入っているなら随分話しが変わってくると思うのだが、会員の推薦は会員の合議制だから当然日展が強い。延々と日展が入ってくる。日本芸術院という権威は日展が牛耳っているのだ。つまり日展は芸術院会員という権威を製造するマシーンであるから権威があるのだ。

 それならば国の予算を割り当てられた国家公務員として「芸術の発達に寄与する活動並びに芸術に関する重要事項を審議し、これを文化庁長官に進言する」という職務があるのだから、内向きにサークル活動ばかり専念せず、国際展に出向き、日本の最高峰のお墨付きとしての日本の、あるいは日展の美術を自らアピールすればよい。それが与えられた義務というものだろう。

 戦後初めてベネツィアビエンナーレに正式に日本が招待されたとき、梅原龍三郎を中心とする時の芸術院会員の多くががベネツィアに送られた。これは考えてみれば至極真っ当な話である。しかし西洋の美術の動向はあまりにも進んでいた。つまり時の芸術院は時代遅れであり進化というものが無かった。それ故我国の美術は無残にも悉く無視されたのだ。
 この期に芸術院、あるいは美術家は日本の美術を根本的に議論する必要があったのだ。しかし美術官寮たちは芸術院をそのままの形で温存し、別に海外向けに海外の動向ばかりを追い続けることを心情とする人たちを集め急いで現代美術という分野を創設する。最も悪い選択だと思う。日本美術はこの時よりダブルスタンダードを敷くのだ。

 日本芸術院は衰退はあっても当時の芸術院より進歩、発展しているとはとても言いがたい。時代遅れだった当時の芸術院よりさらに時代遅れが加算されているのではないか。そしてその枠組みを作り、それを放置、助長した文化庁、文科省の責任が最も大きいと思う。この件で先んじて謝罪すべきは彼らだと思う。

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<関連記事>
日展「書」入選の事前配分問題に関して(2)
http://manji.blog.eonet.jp/art/2013/11/2-9494.html

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