かつて言語学者ソシュールは言った。

「心理的に言語を捨象して我々が得られる観念とは何であろうか。そんなものはたぶん存在しない。あるいは存在しても無定形と呼べる形のもとにでしかない。我々はおそらく言語の助けを借りずには二つの観念を識別する手段をもたないだろう。
 
したがってそれ自体において捉えられた我々の観念の純粋に概念的な塊は、つまり言語から切り離された塊は、一種の形を持たない星雲のごときものであり、そこでは当初から何物をも識別し得ない。」(丸山圭三郎著「ソシュールの思想」岩波書店)

 これを初めて読んだ時、目から鱗が落ちる思いがしたのを今でも覚えている。  それと言うのは、それまでずっと疑問だったことが、この論ですっかり解消できるのではないかと思ったからだ。

 その疑問とは芸術に関するものであり、その当時から感じ始めていた二つの異なる制作原理においてである。直接的にはマンガとマンガから転向し、やり始めた西洋絵画なのだが、この二つは制作においてあらゆる点で異なっていた。

 リアリズム絵画は現代美術に至る西洋絵画の文脈の原点だと思うし、恐らくそれは事実だろう。そしてその目的は見えた通りの世界をリアルに描くということである。
  それはルネッサンス透視法の出現において開始され、当初文字通り、単眼網膜像のトレースから始まり、その後射影幾何学理論が生み出される。

 画面(視野)の内に存在するあらゆる平行の二辺は、それを延長すればその一方は必ず無限遠で一点に収束する。つまり廊下の「ハ」の字だ。  平行に真っ直ぐ伸びた廊下に立ち、遠方を見れば廊下は「ハ」の字に見える。そして見えたものを見えた通り描く。それがリアリズムであり、考えれば何の不思議もない。

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 しかしここで腑に落ちないのが、かつての日本の絵だ。廊下やタタミはずっと平行に描かれ、「ハ」の字に一点に収束しないのだ。…極て稀に「ハ」の字状があるが、これは画面上のあらゆる平行の二辺の延長が無限遠で一点に収束せず、魚骨状に描かれるところから平行と逆転した平行を継ぎ足したものだろう…。

 上の絵は私が描いたものだが、これはリアリズム絵画の制作原理で描いたものではない。つまり実際に廊下に立ち、目の前にスケール(スクリーン)を想定し、そのスケールで垂直に切り取られた視覚像を描いたのではない。
 これは工房の机上で何も見ず、想像だけで描いたのであり、従って見えたものを見えた通り描いたものではないということだ。
 これはリアリズム絵画とは異なるマンガの制作原理であり、それは廊下に立ち遠方を見ると、廊下はこういう形状になるだろうという想像で描いたのだ。そして想像される形状は記憶のアーカイブからアウトプットしたものだ。そしてアウトプットする素材とは、以前寝殿造りの廊下に立った記憶ではなく(因みに今まで寝殿造りの廊下に立ったことなどない…)、あらゆる記憶からそれらしいものを取り出し合成したものである。それは真っ直ぐ伸びた道路であり、学校の廊下であり、マンガや映画の1カットであり、西洋絵画であり、そして源氏物語絵巻などの記憶だ。
 この絵に御簾を描き、襖を描き、それらしい雑貨と姫君と庭に松でも描けば完璧だ。これがマンガの制作原理だ。

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 そしてかつての絵巻や襖絵などの日本の絵は、西洋のリアリズム絵画と比較してマンガの制作原理に極めて近い。つまりその制作は現場ではなく、画室で描かれたのであり現場でスケッチなどもしなかった。見えたものを見えた通り描いたものではないということだ。  その素材となるものは記憶の他に粉本などのお手本が使われた。この膨大なアーカイブとしてのお手本からそれらしいものを選び、合成し変形し描かれたのだ。このマンガに極めて近い創作原理は伝統的に「写し」と呼ばれる。

 しかしここに問題がある。それはかつての日本の絵に極めて近いマンガの制作原理で廊下の「ハ」の字を何の苦労もなく描けるのに、かつての日本の絵にはそれが何故描かれなかったのかという問題だ。  真っ直ぐな廊下や道路に立ち、遠方を眺めると実際にその両線は「ハ」の字に見えるし、そう認識し、又、その記憶もある。上の絵はそうした記憶からアウトプットして描いたものだ。そして平安絵師も寝殿造りの廊下に立ったに違いない。

 昔の絵師がそれを描かなかった理由は二つの可能性がある。あるいは、…しかない。

 それは様式を重んじ、「ハ」の字には描かず、ずっと平行を押し通した。…これが一般的解釈なのだが…。もう一つは当時の絵師にはそう見えなかった。そう見えなかったから記憶にもない。だから描かなかった。…の二つだ。

 私は絵描きとしてそう見え、そう認識し、その記憶があるのにそう描かなかった、…それも千年以上の年月に渡って…というのはどうしても納得がいかないのだ。絵とは認識し、その記憶を基に描くものだと思うからである。そして日本の絵には大和絵だけでなく水墨画、大津絵などの民画など、様式として多くのバリエーションがある。それが一様に「ハ」の字は描かれていないのだ。そしてもう一つ…。

 …それは「ハ」の字が抽出された透視法は光学機器や透写装置などの特殊な人間の機能外の設えによってなされたという事実があるからだ。  平安絵師は寝殿造りの廊下に立ったが「ハ」の字には見えなかったし、そう認識されなかった、従ってその記憶は残らなかったから描かなかった。  その可能性を後押しするのが上のソシュール記号論である。

 彼が言うには「言語の助けを借りずには二つの観念を識別する手段をもたない」のであり「言語から切り離された塊は当初から何物をも識別し得ない」そして「言語の側からみても、さまざまな観念は一切既存のものを表象してはいない」のである。

 たとえば青空に浮かぶ白い雲を見ているとしよう。この場合、青空と白い雲の識別は「空」「雲」「青」「白」という言語によってなされる。  虹の7色はニュートンが2色加えたことによるとされ、本来の識別はおおむね5色で、それは民族が持つ言語によって異なるとされる。そのことは「空」「雲」「青」「白」の他に何か新しい言語が加われば三つ目の識別が可能となるのだろう。しかしその識別は未だ我々には出来ない。  
 以前、脳内出血で入院した折、病室の壁に掛かっていた時計やカレンダーが何を意味するのか解らなかった。それは左脳出血で言語中枢がダウンし、数字の持つ意味、あるいは時間の識別が無くなったせいだろう。

 言語はアーカイブとして我々の記憶に言語体系を成している。それと同様に、言語以外の図像においても、ソシュールの言う言語記号的働きがあり、それによって外界の識別がなされるのではないだろうか。なにより図像のアーカイブは私の記憶に保存されているのであり、これは紛れもない概念だろう。又、入院時に差し入れてもらった少年ジャンプのマンガが全く理解できなかったのは、マンガの図像が文字に類するものだからだろう。

 透視法絵画や写真などを通じて概念化され記憶にアーカイブされた図像「ハ」の字は、それによって外界の道路や廊下に「ハ」の字の識別が可能になる。  平安絵師のアーカイブには図像「ハ」の字が保存されておらず、従って廊下を「ハ」の字には識別できなかった。…というのはどうだろうか。

 その考えの難点と言えば、ソシュールは言語記号以外の記号にはそうした働きを認めていないことだ。しかしここに来てこれを後押しする著作に出会った。  美術史家E・H・ゴンブリッチである。

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