少し前、ネット情報なのだが、青かびチーズを寝る前に食べると、夢が鮮明になる、もしくは鮮明な夢を見る…ことが統計によって示された、というのがあった。これに興味を覚え、さっそく試してみた。

 イオンに買出しにいくと統計に使われたという英国産の青かびチーズは見当たらず、仕方なくデンマーク産のを買って、寝る前に赤ワインと一緒に1パック100グラムを食べた。  
  初め、半分、もしくは3分の1くらいで済まそうと思ったのだが、食べ始めるとこれが妙に癖になる食材で、1パック100グラム全部食ってしまった。

 そして真夜中の3時頃、私は悪夢にうなされ飛び起きたのだ。そして5時頃、又しても悪夢により飛び起きた。鮮明な夢を見るどころかそれは悪夢だったのだ。

 悪夢で飛び起きるなど、そうある経験ではない。これが一晩に二度も起こるなど、青かびチーズが原因かと思い、後日所用で工房に訪れた造形大の女子学生Kにその経緯を話し、イオンで買った3パックのうち残っていた1パックを彼女に進呈し、寝る前にそれを食い、悪夢を見たなら、もしくはいつもとは異なる夢を見たなら報告してくれるよう頼んでおいた。

Photoナルコレプシー

 私は随分以前より夢に興味を持っていた。上の絵は当時読んでいた宮城音弥の「夢」に書かれていた睡眠障害ナルコレプシーについての臨床例に触発され描いた連作の一つだ。
 それによると、世界中で報告される重度のナルコレプシー患者が見る幻覚は、あるパターンにおいて共通しているのだという。
 その多くは小鳥やネコ、ウサギ、鶏などの小動物の群れの幻覚であり、そしてそのイメージは太古の昔より絵のモチーフとして繰り替えし表れているものだ。例えば鳥羽僧正「鳥獣戯画」であり、ジオットの「小鳥への説教」、あるいはノーマン・ロックウェルの「Springtime」などである。この三者は象徴的に文化背景を異にしている。(といえる)…にも拘わらずにもだ。

Photo_2真夜中の散歩

 当時夢に関してフロイトやユングに嵌っていたのだが、彼らの文脈に関連し、連れ合いと夢日記なるものを付けていたことがある。

 それは見た夢を忘れない内に絵日記にして記録し、それを食事の時間などでお互いに披露するというものであった。  
   最初の内は、その記録は誠に淡白なもので、数分有れば事足りたのだが、それを繰り返すうち、数分ではきかなくなったのだ。つまり二人の夢は徐々に鮮明になり、長く複雑になり、各々の絵日記に描写する内容が増したからである。
 例えば夢に見たAの色や形態や印象は、現実の何々に近いとか、まるで同一のようであったとかだ。
 そして恐怖心が芽生え、夢日記を止めるきっかけとなったのは、二人の夢がリンクし始めたからである。

 それは現実には(恐らく)存在しないであろう夢の中の場所、あるいは人物やモノが、披露される前の二人の夢日記に、描写において、かなりの一致が見られる(…ようになった)からである。
 これは夢の(概念的)共有であり、もしかすると共有できるもう一つの世界があるのかも知れない。その世界を垣間見、恐れおののき、引き返したということだったのかも知れない。

Photo_3

Photo_4ナルコレプシー2

 青かびチーズでうなされ飛び起きたという夢の内容とはこうだ。

 私はいつものように高層マンションに住んでいた。…というのも、夢において多くの場合、私はエレベーター付きの高層マンションやアパートに住んでいた。しかし実際はそんな経験は全くなく、下宿や間借りはあってもそれは一軒家だった。

 私は夕刻、玄関ホールに繋がる階段の下で、連れ合いと彼女の兄との三人で談笑していた。そして彼女と兄は先に部屋に行くからと私を残し、玄関ホールへ入っていった。私は一人その場に残るのだが何故だか解らない。
 しばらくして顔見知りの看護婦とすれ違いざまに一言二言言葉を交わす。実際にはそんな看護婦など存在しない。
 そして部屋に戻ろうと、玄関ホールに繋がる階段を上がるのだが、その時玄関ホール脇に下へ続く小さな階段があるのに気付く。私はその階段が何処に続くのか知りたくてその階段を下りていく。
 その階段はコの字かロの字になった高層マンション裏の中庭の10m四方あるかと思われる白いタイル張りの大きなベランダのような空間に続いていた。
 そのベランダは手すりがなく、怖々下を除くと、まだ遥か下に空間は続き、そのマンションの最下部には土砂が堆積し、不用品やゴミが投棄されていた。

 私は一刻も早く上へ戻らなければならないと思うのだが、今降りてきた小さな階段が見当たらない。在るのは下へ続く階段のみだ。
 その階段は初め、コンクリート製なのだが、降りていくに従い、石、そして土と木になり、砂になる。そして気付くと私はマンションの最下部に砂と堆積物とゴミに塗れ横たわっていた。
 見上げると直前私が居たベランダが見え、その遥か上方には私が住んでいる高層マンションの明かりが見える。
 そして最下部に目を転じると、そこにはバラックの小屋があり、人の気配がする。その人の気配は私の顛末を見守っているようであった。
 その恐怖から脱出しようともがいているうち、夢そのものから脱出するのであるが、この夢の記憶が新鮮な内、第三者に告げる必要があると思った。

 これに関し、京都ZENカフェの展示のため、工房の一角を占拠していたCHUN KAWRAに青かびチーズを含めた夢の件を告げると、彼は非常に面白がってくれた。彼はこの夢の内容を世界の政治経済の動向とからめ受け取ったようだった。

 …そうなのだ。恐らく夢とは感覚の断片を紡いだものではなく、概念の断片を紡いだものだと思う。

Photo_6ナルコレプシー3

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