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 上の絵は有名な鳥獣戯画です。
 さて、この絵はどうやって描かれたのでしょうか。

 以前、カエルやウサギを捕まえて殺し、相撲のポーズをさせ、それを写生しデッサンしたのだと言い張った人がいました。

 面白い話ですが、そんなことはあるわけ無いと思います。その人はリアリズムを純粋素朴に信じきっているのです。つまり前回引用した山本鼎の以下の主張です。

「子供にはお手本を備へてやらなければ画は描けまい,と思ふのならば,大間違ひだ。吾々を囲んで居るこの豊富な『自然』はいつでも色と形と濃淡で彼れ等の眼の前に示されて居るではないか,それが子供らにとっても大人にとっても唯一のお手本なのだ。」

 山本の主張は、自然は見えるがままに実在しているのだから、創作は自然を唯一の対象にすべきだということであり、それは主観と客観の関係において成される、これがリアリズムです。そしてこの考えは、透写装置などにより、自分の網膜像をトレースし、抽出することによって絵は描かれるという、ルネッサンス以来の透視法が原点なのです。

 だから、鳥獣戯画のカエルやウサギが精緻であればある程、目に映った対象としてカエルやウサギに相撲のポーズをさせたに違いない…となるのです。
 又、源氏物語絵巻などで描かれる吹き抜け屋台は、寝殿造りの屋根が葺かれる前に、絵師が木に登って写生したといい張った人もこれと同様です。

 しかしこれは思い込みであり、盲信だと思います。
 これは何もカエルに相撲のポーズをさせたり、絵師が木に登って写生したという人に対してだけ言っているのではありません。西洋由来であるリアリズム自体が我々の思い込みではないかと言っているのです。

 鳥獣戯画は粉本などのお手本を対象にする、いわゆる「写し」の原理で描かれました。これには二つの根拠があります。

 一つは過去の資料です。粉本という、いわゆるお手本帖を絵師が写し、制作していたことは事実として確認されていますし、多くの粉本が残っています。
 鳥獣戯画も模本という多くの「写し」が残っており、鳥獣戯画自体、時期が異なる「写し」や粉本を集めて組まれたのではないかとも言われています。鳥獣戯画乙巻などは粉本がそのまま組まれたという説もあります。
 そして絵師が現実世界のものを見ながら描く、つまり写生といわれるものや、網膜像をトレースするという透視法様の制作方法を用いたという痕跡=資料は見つかっていないのです。
 ただしこれは、18世紀半ば、中国と西洋から写生や透視法が日本に輸入されてからは別です。写生はそれ以降、行われました。又、雪舟が中国に渡った時、現地で写生をしたという話しが伝わっているといいますが、日本でそれをしたかどうかは不明です。痕跡がないのです。

 二つ目は、…こちらがより重要で、比重が高いのですが…それは私の経験から導かれた実感です。

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 上の絵は私が描いたカエルの色んな姿態です。
 短時間(一分足らず)で描いたので、精度は非常に悪いですが、何も見なくても、あるいは、カエルにポーズをさせなくとも、どんな姿態でも描くことができるということを示したものです。
 この絵で、右上のカエルは冒頭の鳥獣戯画のカエルを臨画したものです。あとのカエルは、実物のカエルや写真はおろか、何も見ずに描きました。
 つまり、絵師はお手本を何度も写すうち、あるいは既成の絵を眺めるうちに体がその図像を記憶し、いざ、自分が描く時、記憶の図像を取り出し、組み合わせ、お手本の図像にどんな姿態でも変更を加えることができるのです。…とは、「子供の描画」において著者H・ガードナーがある研究者の分析を引用したものです。
 その研究者の分析は「写し」に関するものではありませんが、模写(=臨画とするならば)の効用においてそれは一致するはずです。

 その研究者は、マーベルコミックスの場面からとった絵を一万枚も描いたという学生は、どんな姿態でも、状況でも空で描けることを驚きを持って報告しています。しかし、そんなこと、マンガ家なら普通に行う日常の仕事でしょう。

 つまり、ここでは山本鼎が言う、眼の前に示された、色と形と濃淡を持つ豊富な『自然』など、直接的対象として一切関与しないということであり、これがリアリズムと異なる「写し」の原理なのです。冒頭の絵はこうして描かれたのだと推測できます。そして絵だけではなく、前回も言ったように和歌や書、彫像や工芸など、かつて芸術全ての創作原理でした。 . .

 それではリアリズムから見た制作原理とはどういうものでしょうか。
 これについても前述の著作「子供の描画」に象徴的な話が出てきます。それはサヴァン症候群の少女ナディアの話しです。

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 「自閉症サヴァン症候群と診断されたナディアは2歳の頃から遅滞が見られ、運動や反応が緩慢だったし言葉が理解出来なかった。しかし3歳頃、彼女は突然、信じられない絵を、誰の介入も無く、たった一人で、次々に描き出すのである。」
 から始まるナディアの項目は非常に興味深いものです。彼女の絵は訓練を受けた写実主義の画家の絵のように写実的だったのです。

 しかし、ナディアの場合、自閉症サヴァン症候群がもたらした特殊な事例だと結論付けられるのです。
 それは通常人は持っていないとされる視覚(感覚)を記憶できる能力があり、その能力によってナディアは絵を描いたということです。又、視覚(感覚)記憶に関しては、その後、同じくナディアを登場させ、N・ハンフリーが著作「喪失と獲得」でより踏み込んで語っています。

 通常、人は視覚(感覚)は記憶できないのです。J・スパーリングの実験によれば視覚の記憶、あるいは保持時間は約一秒以内だということです。その後、視覚データはコーディング(符号化)され脳の短期記憶に移されるとされるといいます。コーディング(符号化)とは概念化と言ってもいいのかと思います。
  ナディアは視覚を通常ではあり得ない視覚記憶として保持しており、絵を描く際、画用紙に重なるようそれをアウトプットし、それをなぞり、絵にしたのでしょう。ガードナーやハンフリーもそう結論付けています。
 もしそうなら、これは凹面鏡やカメラオブスキューラ、透写装置やカメラルシーダによる描画原理と一致します。記憶の視覚(ヴィジョン)が光学機器や装置がもたらすヴィジョンに置き換わっただけです。

 つまり、カメラオブスキューラや透写装置によりもたらされたというリアリズムの制作原理とは、通常の人の視覚は記憶されないという生理学的機能を押してまでも、目に映る『豊富な自然』というものを再現することにあるのです。だからナディアが描く絵は彼女の網膜像(のアウトプット)であり、写実主義の画家が描こうとするのも彼の網膜像なのですから、同じ写実=リアリズムという評価になります。
 しかし、光学機器や透写装置、あるいはナディアのような能力なしで、本当にそんなこと出来るのか、ということです。 .

 ここで人は視覚を記憶できないとするならば、「写し」原理において、絵師が粉本を何度も写すことにより、その図像を記憶できるなど食い違うではないか、…と思われるかも知れませんが、それは食い違いません。又、私自身、視覚記憶の持ち主などと思ったことなどありません。
 その図像は概念だから記憶できるのです。

 視覚データはコーディング(符号化)され脳の短期記憶に移されるとされるといいましたが、それを何度も繰り返すと長期記憶になります。つまり、小説などを読む場合、紙の上のインクやシミ、活字などの視覚データは文字が持つ概念データに変換され、短期記憶に送られます。それを何度も繰り返すと長期記憶になり、いつでも文字や文章をアウトプットできます。図像もそうです。又、そればかりではなく、文字や文章がそうであるように、それらを無限に組み合わせることにより、未知なる意味(概念)を構築できるとさえ考えています。これが「写し」の原理です。

 E・H・ゴンブリッチは彼の著作「芸術と幻影」において、絵は概念的である、と断言しています。又、J・ピアジェは著作「発生的認識論」において「あまりにもしばしば忘れられている一つ」とした上で、言語が表象の全てではなく、身振り、描写、描画、彫像など行為における多くの表象形式があるのだ、と言っています。
 図像による言語なき思考。これが「写し」の原理であると言えるかも知れません。

 又、光学機器や透写装置、あるいはナディアのような能力なしで、本当にそんなこと出来るのか、…と言いましたが、ゴンブリッチは上の著作で、そもそも見たものを描くことなど出来ないし、印象派が登場するまで、画家たちはそのことを充分承知していたはずだ、…と述べています。それに呼応する形で、彼は、画家は何より先に描き方を習得するのが先決であり、現実のモデルに当たる前に、彼らは何年もかけて、デッサン集を模写しまくった、と述べ、模写に使用したデッサン集を挙げています。

 これが事実なら、西洋においても「写し」に相当する原理が成されていたことになります。そして印象派が純粋でナイーブだったのか、より狡猾だったのか解りませんが、いずれにしても、山本鼎らが素朴かつ純粋に信じた西洋は、建前ではリアリズム、実質的には「写し」に相当する原理というダブルスタンダードを敷いていたことになります。   .                             

                                                                                 金星夜会に向けて

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