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 ガイ・ドイッチャーは著書「言語が違えば、世界も違って見えるわけ 」において、サピア=ウォーフの仮説を、特にエドワード・サピア(1884〜1939年)の愛弟子ベンジャミン・リー・ウォーフ(1897〜1941年)をくそみそにこきおろしている。

 彼はウォーフを詐欺師の中でも最も悪名高い詐欺師であり、何の証拠もないのにもかかわらず、北米先住民はその言語故に私たちとまったく異なるやり方で現実を見ている、あるいは知覚していると主張し、混乱を巻き起こし、一世代の人々をそっくり騙した人物と断じている。
 その仮説とは、端的に言えば、自然界の青色が知覚認識できるのは「青」という言葉があるから、あるいは、「青」という言葉によって自然界の青色が分節され、知覚認識できるという、いわゆる言語決定説だ。従って個別の民族集団における言語に「青」という言葉が無ければ自然界の青色は知覚認識されないということになる。

 ドイッチャーが言うところの、こうしたホラ話を一時的にも熱狂したという言語学の後遺症により、その後の真摯な研究が随分妨げられたということらしい。つまり今日の言語学者や心理学者はよもやそれを頭から否定したり、又、母語が話し手の思考に影響があったとしても、それは極めて小さく、問題にするほどのものではないというニュートラルな態度をとっていると言う。

 そしてドイッチャーの結論によると、それでもMRIなどの近年の発達した技術による実験調査が功を奏し、色の知覚においては母語の影響が認められるという。しかし、やはりそれは極めて小さく、二つの色の差異を知覚認識するために要する何ミリセコンドの時間差が言語の介入の結果であるということなのだろう。
 従ってウォーフの言語決定説は、以前からあった現地調査や、又、それ以降の実験などにより、「青」という言葉を持たない種族であっても、それを持つ欧米人などと全く同じように青色は完璧に知覚できるという結果において、それはトンデモ説でホラ話となるのだろう。

 しかし本当にそうなのだろうか。

 ドイッチャーがここでウォーフを引用する「北米先住民はその言語故に私たちとまったく異なるやり方で現実を見ている、」…の「私たち」とは、彼の国籍は明らかではないが、ヘブライ語を母語とし英語を常用とするマンチェスター大学の主任研究員を務める言語学者というからには、少なくともドイッチャーは西洋文化圏の人だろう。そしてその「私たち」に日本人である私は含まれるのだろうか。

 それと言うのも、又、サピア=ウォーフの仮説の言語決定説という、いわゆる「強い仮説」に私が惹かれるのは、西洋の絵画と西洋を取り込む以前の日本の絵には埋めることが出来ない深い溝があるからだ。
 絵とは知覚認識した現実世界をベースに構築されるとするならば、この違いの在り様は、知覚認識が生得的に、あるいは解剖学的機能に基づいて為されているなど到底思えないし、もしそうであるならば、この違いの在り様が説明出来ない。
 西洋絵画は画家個人の視点を持ち、つまり遠近法という一人称視点で描かれているのに対し、日本の絵はそもそも視点など持たない。日本において長い歴史を通じ一人称視点で描かれている絵は、文学も含め西洋から教えを乞うまで皆無なのだ。
 もしこれが日本人の生得的進化の遅れとするなら話は別だが、そんなことはあるはずがない。

Monet23モネ

Teit912187582526d洛中洛外図

 このことから言語と図像の違いはあるものの、知覚認識は文化的要因に強く因っているという可能性は捨てられないと思う。又、西洋の一人称視点の設定は、ドイッチャーが著書の後半で取り上げる自己中心座標と地理座標の表現の分析に深く関連している。そして彼はその関連に気付いていないのだ。

 彼はオーストラリアの絶滅寸前のグーグ・イミディル語の空間関係の表現を「私たちにはどう見ても奇妙で…」という例の言い回しでその奇妙さというのを述べている。
 グーグ・イミディル語の空間関係の表現には自己中心座標を基準とする右、左、前方、後方という言い方はせず、地理座標の東西南北で全て表すという。例えば、前方に進み、次の角を右に進む、…は北へ進み次の角を東に進む、…となる。あるいは部屋の右隅に机がある、…は部屋の東隅に机がある、…となる。

 ドイッチャーは「我々にはこれをどう見ても奇妙だ」というが、上図の洛中洛外図で解るように一人称視点の設定がなければそう奇妙ではない。そして一人称視点が生得的で解剖学的機能に基づくとははなはだ疑問が残る。
 例えば京都は大内裏(現在は御所)を中心に北が上京、南が下京、東が左京で西が右京となり、特定の地点を表すには、辻を起点に上がる(北方)下がる(南方)東入る(左方)西入る(右方)という地理座標を用いる。自己中心座標から見て右であろうと左であろうと関係なく、東が左京で左方なのだ。私はこれを奇妙だと思わない。  そして彼の言い回しからは自己中心座標を派生させる一人称視点の設定が生得的に、解剖学的機能に、あるいは文化的に自然であるという西洋優位性から離れられないのを感じるのは私だけだろうか。

 そしてここからが本論なのだが、「青」という言葉を持たない種族が、持つ種族と同様に青色と緑色の区別が出来たと結論された色覚調査とはどんなものだったのか、ということだ。ここに一つの問題点を提示できる可能性があるのではないかと思う。  

 しかしその前に、非常に大まかではあるが、これに到る経緯を示す必要がある。詳しく知りたい人はドイッチャーの著作を。

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 1858年ダーウィン「進化論」発表の約1年前、英国のW・グラッドストンなる人物により「ホメロスおよびホメロスの時代研究」という本が出版される。そこでグラッドストンはホメロスの色彩表現の欠陥を指摘する。
 ホメロスは如何して海を「葡萄酒色」、蜜蜂を「緑」、羊を「紫」、と呼んだのだろうか、…と。グラッドストンはホメロスの色弱の傾向、あるいは盲目の可能性を指摘するのだが、後の研究において古代ギリシャの文献には色表現に同じ傾向があることが発見される。そこでグラッドストンはホメロスと同時代人は世界を総天然色というより白黒に近いものと知覚していた。と結論付ける。
 当時、これは人間の色彩知覚の進化の過程と見られていたという。つまり現代人の色覚の多様性は古代ギリシャ人の色覚を経て進化したものであると。
 しかし獲得形質は遺伝しないという考えが広まるにつれ、改めて色の区分と色覚の関係性が問われ、そこでいわゆる現存する「未開人」に焦点があてられる。
 1870年後半、世界各地の領事館、宣教師、医師、探検家(もちろん西洋人に限られるが)などに調査票と色表が送られ、大々的に現地人の色名調査と色覚調査が実施された。
 その結果、色名が少ないものでは「白、黒、赤」だけで事足りる種族や「白、黒、赤、黄」「白、黒、赤、黄、緑で青がない」が多く確認されたという。どうやら「青」がネックのようで「青」は緑に含まれるか、もしくは黒の範疇なのである。

 色覚調査では寒色を見分ける時、ためらいがあると多くの報告があったが、正しくない色を選んだ者は一人もいなかったとされる。
 つまり「未開」であろうとなかろうと、又、色名があろうとなかろうと、色が見分けられない種族はいなかったと結論されたのである。…これがおおまかな経緯だ。

 この時、問題になるのは色覚調査の装置とその手順だと思うのだが、当時行われた装置と手順は如何なるものであったのか。
 それは1875年スウェーデンで色弱による信号機見落としが原因で起こったとされる列車事故を機に使用が広がり、多くの信頼を得たというホルムグレン考案の検査キットとその検査手順である。(上図)
 これは色目の違う毛糸の束40種前後を使うもので、手順は被験者に、ある色の毛糸をサンプルとして見せ、似た色の毛糸全てを選ぶように指示する。かけ離れた色を選んだり、選ぶのに普通より長くためらうことにより異常を検出するというものだ。

 しかしこの手順説明だけでは充分でなく仔細はよく解らない。そしてこれより想定される異なる二つの手順において言語との関係に大きな差が生じると思う。
 一つはサンプルの毛糸を見ながら似た色の毛糸を選ぶ方法で、もう一つはそのサンプルを提示した後、それを隠し、記憶にあるサンプルの色を基に似た色を選ぶという方法だ。前者の場合に比べ、後者は言語との関係がより強く表れると思うのだ。

 例えば私は20年近く愛用している自転車がある。その自転車は車体が真っ赤に塗られ、今現在、玄関土間に置かれており、ここからは当然見ることが出来ない。そして記憶にある私の自転車のイメージは実際それを見るのに比べ、うつろで生き生きとした赤の質感、あるいはクオリアを感じることが出来ない。20年近く愛用していても自分の自転車の色を正確に思い浮かべられないのだ。
 そして自転車が見えないこの状況で、目の前にある絵具で自転車の赤を再現しなさいと言われたらどうか。
 真っ赤にも色んな真っ赤がある。絵具で言えば、ガランス系、バーミリオン系、カドミウム系だ。私は経験上、色相数値などではなく絵具名で記憶しているからカドミウムレッドだ。
 つまり、赤→真っ赤→カドミウムレッドという語彙において私は私の自転車の色を記憶していると言える。
 …しかし、もしそうした「真っ赤」や「カドミウムレッド」という語彙がなければ、目の前の三本の絵具から、…ライト、ディープなどを加えると恐らく10本くらいの絵具から…カドミウムレッドを選ぶことが果たして出来るのだろうか。
 あるいは、この自転車が真っ青なコバルトブルーに塗られていたとしよう。そして私が「白、黒、赤、」しか色名を持たない種族の一員だとすると、当然うつろな記憶にある自転車の色はその範疇である黒という色名で記憶することになる。
 そして先ほどの課題を繰り返せば、目の前に黒の範疇の絵具がずらっと並ぶことになる。そこには暗い紅系から濃い茶系、緑系、ウルトラマリンなどの黒の範疇の絵具が並び、ゆうに100本以上になるかも知れない。そこからコバルトブルーという適切な一本を選ぶことが出来るのだろうか。

Photo_2ベローナ語の三色系

 上図はポリネシア環礁島で使われるベローナ語の色区分であり。「白、黒、赤」の三区分だ。つまりベローナ語はこの世の色は三つの言葉で表しているということになる。
 この図表は1969年にB・バーリンとP・ケイが20の言語の色名の区分けを調査したもので、これによって色名の切り分け方は恣意的ではなく、ある普遍的な法則が見出されるという。(ソシュールは言葉の切り分けは恣意的だと言った!)
 彼らが用いた色区分でいえばベローナ語の黒の範疇は137個で、これが絵具に対応しているのならば、コバルトブルーの自転車を再現するのに並べられた絵具は137本であり、その137本の絵具に貼られたラベルは全て「黒」だということになる。その黒の中から記憶を頼りにG27あたりの一本を選ぶことが果たして出来るのだろうか。

 又、バーリントンとケイは区分けされた色名には中心色(フォーカス)があるという。20の言語における中心色に見い出される共通法則性により、恣意性の否定に繋がるのだろうが、面白いのは中心色はその言語で区分けされるスペクトルの平均値ではないということである。
 例えばマヤ語圏のツェルタル語では緑と青の領域を「yaš」の一語で表す。そしてツェルタル語の話し手に直感する「yaš」の代表色を尋ねると、緑と青のスペクトルの中心であるターコイズ(F24付近)ではなく、純粋な緑のG18〜20付近を答えるという。
 つまりツェルタル語の話し手は「yaš」と聞くと直感的にG18〜20付近、つまり絵具で言うビリジアンを思い描き、「yaš」領域の他の部分は中心色の取るに足らないバリエーションとして切り捨てられるということだろう。

 もし私がツェルタル語の文化圏の人間で、仲間と昼休みに雑談をしていて自転車の話題になり、「お前の自転車は何色だ」と尋ねられると、私は即座に「yaš」と答えるだろう。そしてその時、彼は「yaš」の中心色であるG18〜20付近、つまりビリジアンの自転車を思い浮かべるに違いない。片や私はどうかと言うと、やはりG18〜20付近であるビリジアンの自転車を思い浮かべているだろう。何故ならツェルタル語の文化圏の人にとっては、G27付近のコバルトブルーは「yaš」の取るも足らないバリエーションの一つだからである。
 ベローナ語においてはツェルタル語よりさらに色の区分けを広く取り、緑から青の範囲である「yaš」はベローナ語の、濃い茶色、紅色から紫、純粋の黒までの範疇を持つ、「ungi」に取り込まれる。そしてこの著書には記載はないが、やはりベローナ語の「ungi」にも直感に裏付けされた中心色があり、その他の多くの範疇内の色はベローナ語圏の人にとっては「ungi」の中心色の、取るに足らないバリエーションの一つとなるのだろう。

 そしてこのことから、前出のホルムグレン検査方法が、もし、サンプルを見比べながら似た色の毛糸を選んでいるとするならば、採取されたデータは、色名が知覚に影響を与えているかどうかという証拠にはまるでなっていないのではないか。
 それは、例えばマヤ語圏のツェルタル語の緑と青の領域を一語で表す「yaš」の、取るに足らないバリエーションの誤差を見比べて検知できるかできないかという、ただそれだけの検証だったのではないか。
 ここでサンプルの毛糸を被験者に示した後、それを隠し、記憶を頼りに似た色の毛糸を選ぶとすると、もし、ツェルタル語圏の人ならば、そしてサンプルがコバルトブルーならば、彼はそれを「yaš」と記憶し、似た色を選ぶ際、「yaš」の中心色のビリジアンを選択したかも知れない。
  このことを前段で示した絵画に当てはめて見れば次のようになるだろう。

 世界各地の領事館、宣教師などに調査票と色表が送られ、大々的に現地人の色名調査と色覚調査が実施されていた正にその頃、ウィーンをはじめヨーロッパの各都市では万国博覧会が行われ、そこで今まで見たこともない、辺境の未開から送られて来た絵に話題が集中していた。
 印象派を熱狂させ、やがてアールヌーボーなどのムーブメントの火種になるその絵には、普段、我々が視覚で捉えている現実世界の様相が一切描かれていなかった。つまり遠近法という一人称視点は採用されていなかったのだ。

 そして、この辺境に住む人たちは、我々が普段見ているように、世界を見ていないのではないか、…と考える人がいたとしても不思議ではないだろう…。
 そう思った彼は…実際にそういう人がいたかどうか知らないが…その辺境の人たちに視覚検査を思い立つ。
 彼は辺境の地から描き手を5人招き、彼の考案した検査装置で視覚検査を行う。その装置と手順は次のようなものだ。
 被験者をテーブルを前に椅子に座らせる。テーブルには被験者がそれを覗けるように直径1cmくらいの一つの穴があけられた板が固定されている。被験者がそれを覗くと前方に長方形の箱がその視野にすっぽり収まるよう縦向きに置かれている。そして板の向こう、被験者の手が届く位置に被験者の視線と垂直に大きなガラススクリーンが、そのガラスを透して長方形の箱が見えるよう置かれている。
 被験者への課題は、穴から見える長方形の箱の輪郭線を前方のガラススクリーンにインクでなぞることだった。そして彼の注目点は、この辺境の人たちが長方形の箱の奥行の輪郭線を如何処理するかだった。我々が見えるように奥行きが窄まる「ハ」の字に描くか、それとも平行に描くかだ。何故なら辺境の人たちの絵にはに奥行きの「ハ」の字は存在しなかったからである。その多くが平行で描かれていた。

 結果は5人とも彼の期待を裏切り、「ハ」の字だった。そして彼は「未開」であろうとなかろうと、又、絵にあろうとなかろうと、形が見分けられない種族はいないと結論したのである。
 しかしこれは色覚と世界を如何知覚認識するかの問題で、ある意味共通すると思う。眼前にある色相や明度の微妙な差異を区別できることが、現実世界の色彩の知覚認識とイコールとはならないだろう。それと同様に、視覚像、あるいは網膜像をトレース出来るかといって、その抽出された形が知覚認識した形とは言えるのだろうか。知覚認識とはそれを如何に記憶し、アウトプットできるかどうかの問題だと思う。
 それに今回想定した絵に関する実験者はあまりにも美術史に疎かった。
 人類の一人称視点の採用は、遠近法という15世紀前後の網膜像のトレースという手続きを経て成されたものであるということは残された痕跡が物語っている。そしてそれが生得的だとは、その事実を鑑みても決して言えないということを含め、彼は何も知らなかったのだ。

Photo_4透写装置

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