「俳句×美術 IN 篠山」展の小南邸会場で、参加されている俳人が詠んだ句を元に、美術家がイメージを膨らませ、作品を作るといういわば課題があります。
 それぞれの俳人が詠んだ一句がそれぞれの美術家にあてがわれ、そこから自由に作品を作るというものです。
 私の場合は、やはり俳画を作ります。そして、あてがわれた句は早瀬淳一氏の…

「去年今年行ったり来たりろくろ首」です。

 「去年今年」は「コゾコトシ」と読み、年や月日の移り変わり、つまり時の流れを自覚する、多くはお正月の季語となるようです。

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媒体は襖で、以前「襖問題」で取り上げた夷川の井川建具道具店で見つけた年代物の小襖です。

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 この小襖には陶器の引手が付いており、引手には山水が描かれています。生地は布張りですっかり日焼けしていますが、胡粉で花のようなものが描かれています。
 よく見ると、胡粉を中心に丸い痕跡があり、恐らく、これは牡丹図で、牡丹の花弁は長い年月で落ちてしまい、中心の胡粉で描かれた花糸の部分だけが残っているのだと思います。この小襖は職人が丹精を込めて作った贅をつくしたものだと想像されます。

 従って、初めは張替えを考えていたのですが、これに胡粉を布き、上から描くことにします。

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桟も黒く塗り、蝶番を付け、二曲一双の小さな衝立にします。画像では解りませんが、胡粉の花糸が透けて見えます。

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 …さて、ここからどういう絵にするか、ということですが、それは、早瀬氏の句から浮かび上がる私の思いやイメージが絵の内容となります。

 最初に思いついたのが、「去年今年」という自覚の近代的解釈、つまり過去現在未来という硬直的な近代物理学の時間の枷を抜け出し、にょろにょろと、うねうねと自由に行き来するろくろ首です。
 そして私に生じたこのイメージは、このイメージと対をなすもう一つのイメージによって強調され、鮮明になります。

 「去年今年」を季語とする句に高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」というのがあります。この虚子の句の極北にあるのが早瀬氏の句です。早瀬氏が虚子の句を意識されたかどうかは解りませんが、虚子の句があってのこそ映える句だと私には思えます。
 「貫く棒」とは固く真っ直ぐな角材を連想します。そしてそれは貫いてはいるが、それ故に前に行くだけで過去へは戻れません。元気ではあるが硬直的です。しかし「行ったり来たりろくろ首」は固い角材の対極にあり、にょろにょろ、ぐにゃぐにゃと自由自在に過去現在を行ったり来たりします。

 次に思ったのは意志、志向性です。虚子の「貫く棒」には個人であるが故の固い意志や決意が感じられます。つまり虚子の句は、時間軸という近代的物理学(あるいは科学、哲学)の枷を基盤にした、かつての近代的個人像の理想を標榜しています。…と思います。
 そしてそれに対置、カウンターとされるものとは何か。それは前近代的な何かであり、それが未来を築くと私は思っています。(あくまで私の私見です)

 又、「ろくろ首」には「首を長くして待つ」と言うように、あるいは「行ったり来たり」にしても、何かを待望するという意味合いがどうしてもつきまといます。つまり期待であり、待つことの感受性です。この点においても「貫く棒」の、いわば独善的単純さ、デリカシーの欠如と対比できるのではないかと思います。(あくまで私の私見です)

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上はエスキースです。「ろくろ首」を文字通りに描けば単なる妖怪画になり、上の思いとは全く別の絵になるというリスクを考え、「ろくろ首」に置き換わるものはないかと考えました。
 少し安易かも知れませんが、先日、細見美術館で観て記憶に残る、若冲の糸瓜群虫図を「本歌」として拝借します。そのヘチマを上下逆転して遠くを見つめて希求する「ろくろ首」に見立てます。そして空には太陽と月が何個も雲間から輝いています。これは時は流れ、在るのは現在の一瞬だという近代的解釈に対し、未来現在過去も全て同時に在るということを表しています。だからフレキシブルなろくろ首は行ったり来たり出来ます。因みに太陽のフォームはデ・キリコの太陽が「本歌」です。

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鉛筆でざっと当たりを付け、殆どフリーハンドで墨を入れます。しかし、「本歌取り」は「本歌」が特定され、認識されない限り、「本歌取り」にはなり得ません。従って「本歌」が特定されるよう、あるいは特定されやすいよう、見立ての上下逆のヘチマの上部に正常位のヘチマを描き加えました。もちろん虫たちもです。

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左隅にある文字はプラトン数です。これは地球を巡る天体が元の位置に戻る、つまり宇宙がリセットされる周期をあらわす数だといわれています。このプラトン数が近代物理学に対し、相剋であるか相生であるかは不明です。しかし、「去年今年」という季語から直感的に意識に上ったものであり、これは画面上に記さななればならないと思いました。
 最初、プラトン数は見立てのろくろ首の左側にありましたが、どうもおさまりが悪く、左端に移しました。ろくろ首の左側の黒ずみはその名残です。

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 これでこの小襖は私の手を離れましたが、この俳画は完成ではありません。完成は早瀬氏が自句「去年今年行ったり来たりろくろ首」を小襖の画面上に揮毫された時点です。

 この小襖における衝立の俳画は、9月17日から「俳句×美術 IN 篠山」展のサテライトである「篠山アートフェスティバル」小南邸会場で展示予定です。

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