JST科学技術用語日英対訳辞書において「視覚像」はvisual imageと訳され、学術論文などでも普通に使用されてはいるが、何しろ「視覚像」とは個人が見ているものなので「これが視覚像です。」と、他人に指し示すことなど出来ないのです。それはあくまで想定されたものであり、E.H.ゴンブリッチが「芸術と幻影」で展開する「見たまま描ける、描けない」という議論の「見たまま」にあたるものです。
 ゴンブリッチはここで「画家は見たままを描けない」と言い、そしてそれを読んだある人は「そんなことはない。見たままを描けるのだ。」などと、ダヴィンチかなんかの図版を「ほらね。」と示したりします。ダヴィンチは「片目に限定するならば、見たまま描ける」と断言、あるいは確信した人です。又、「ほらね。」と図版を示す人にとっては、その図版にその人個人の「見たまま=視覚像」と類するものを見出すからでしょう。つまり、その人がその図版の現場に行ったとすると、ダヴィンチと同じ風景を見、それを彼は描いたのだから「見たまま描いた」という合意が生じるのです。そしてそこには「見たまま=視覚像」というものの社会的に共有された想定が見られるということです。

 その想定とは、例えばゴンブリッチの言う、彼個人の「見たまま=視覚像」というものが、その他の各個人の、あるいは、それを読んだ各個人の「見たまま=視覚像」をも同時に指しており、つまり共有のものとして有り、それはダヴィンチらの図版において、「ほらね。」と、その共有性が担保されているという構図です。しかしこの構図は想定の何物でもなく、先にも言ったように確かめようが無いのです。そしてその想定はダヴィンチらの図版を担保として成り立つ、あるいはダヴィンチらの図版によってしか成り立たない、つまりそれが無いと成り立たない想定だと言えます。もしダヴィンチらの絵や図版が世の中に無かったら、こうした想定は生まれないのです。丁度、それらが入ってくる前の昔の日本のように、これが自分の「見たまま=視覚像」だと示せるものは、ダヴィンチらの絵、あるいはその進化形である写真や映像しか無いからです。
 従って、視覚像の想定はダヴィンチらが開発した描画方法、つまりこれが透視法であり手描きの写真なのですが、その発生以降に、あるいはそれが発生したが故に同時に生じた想定であり、それに付随した想定だと言えます。又、その絵や図版を現代の写真や映像に言い換えることも可能なので、これらをひっくるめて写真原理とします。つまり視覚像という想定は写真原理の出現により生じたのです。
 又、「見たまま=視覚像」という想定は、誰がその現場に行っても、それを描いた人と同じように見えるという想定だから、誰が見ても等しく見える、あるいは等しく在る、厳然と実在する外部世界、という想定が含まれています。それがリアリズム=実在論です。このリアリズムという想定は、写真原理が持ち込まれる以前の日本においての世界観であった、諸行無常と大きく異なるということが重要なのです。

 ダヴィンチらが開発した写真原理とは、端的に言えば、それは単眼の網膜像を描き取るということです。間違ってもそれは視覚像では無いということです。つまり透視法を象徴する透写装置での描法は、幾つかの疑問点に目をつむれば、理論的にも原理的にも網膜像を写し取る作業と言え、それはフィルムの感光板や基盤がフラットであるのに対し、網膜は湾曲している、あるいは両眼視などの相違点を除けは写真機の原理と、ほぼ一致します。このことにおいてダヴィンチの「片目に限定するならば、見たまま描ける」ということが教理化、もてはやされたのです。言わば画期的な発明だったのです。

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 そしてそうしたダヴィンチらの教理や透視法絵画、それを生み出す制作手順が広まった直ぐ後、ヨハネス・ケプラーは実際の人間の眼球の網膜に、レンズである水晶体による外部世界の結像、つまり網膜像を発見、確認します。それにより目の仕組みはダヴィンチらのカメラオブスキューラや透写装置、その後の写真機と一致することが実証されたのです。当時、網膜像が脳の中枢までそのまま伝えられ、それがvisual image(視覚像)になると考えられていたようだから、正に写真原理の絵は「片目に限定するならば、見たまま描ける」だったのです。又、網膜像は視覚像と違い、一応実験室での再現実験が可能です。そして網膜像は光学現象だから、同じ機能を持つ眼球であれば、個別の差はなく、個人、年代、地域の差などは無く全て等しく、網膜には同じ外部世界が同じように結像されます。つまり写真原理で作られた絵は、他の人が持つ目と同じ機能を持つ目で為されるのだから、「見たまま描いた絵」の「見たまま」は、描いた人の「見たまま」であり、それは同時に私の「見たまま」であり、そして同じ目の機能を持つ全ての人の「見たまま」となります。これは上記の「見たまま=視覚像」の想定、構図と限りなく一致し、「見たままを描けるのだ。」などとダヴィンチかなんかの図版、つまり写真原理の絵を「ほらね。」と言って示すことが成立します。又、それによりリアリズム=実在論が担保され、主観客観が生まれ、ここから西洋哲学、科学がスタートするのです。15〜17世紀のことです。

 しかし、これでめでたし、めでたしと一件落着にはならないのです。問題が残っています。ここでは人類全ての、つまり同じ世界を映している各網膜像と各視覚像が限りなく一致するということで成立するのですが、それならば何故、「見たまま=視覚像」の絵がダヴィンチらが開発した写真原理の絵まで待たなければならなかったのか、という問題です。網膜像=視覚像なら、世界中の地域で、各時代を通じて、写真原理の絵が在るのが道理でしょう。しかし無いのです。しかもその開発は光学機器の助けを借り為されました。
 つまり写真原理の絵とそれ以前の絵、あるいはそれが輸入される前の日本の絵、掛け軸や障壁画などとは大きな違いがあります。それは写真原理の絵は一人称視点を持っており、その他は持っていないということです。一人称視点の大きな特徴とは、真っ直ぐな廊下に立ち、遠方を眺めると廊下の両線は遠方に行くほど収縮し、「ハ」の字を形成します。これが廊下の「ハ」の字です。そして人類は皆、同じ機能の目を持っているのだから、その各網膜像は同じように写真原理的に一人称視点を持っており、廊下の「ハ」の字が映っているはずだし、実際私は廊下の「ハ」の字が知覚認識できます。そうであるのに、なぜ日本の絵には廊下の「ハ」の字が<一切>描かれなかったのか、という問題です。そしてそれに連動する「青空問題」があります。昼間の青空が絵に描かれるのは廊下の「ハ」の字が描かれるのと連動しています。日本の絵には、廊下の「ハ」の字が登場するまで昼間の青空が登場しないのです。これは西洋においても同様です。

 「見たまま=視覚像」とは、世界をそう見るという、知覚認識するということが含まれている。もし、「見たまま=視覚像」に、私がするように、廊下の「ハ」の字や昼間の青空を当時の絵師が見たなら、つまり知覚認識していたなら、何故それが描かれなかったのかということです。そのように見えたが絵画様式があるので描かれなかった、という様式のせいにするのは如何にも強引で短絡で、知的でなく無理やり納得させるようで、第一、エレガントさが微塵もない。それにそもそも、そんなに大事な様式なら、ダヴィンチらの写真原理開発以降、その様式が東西を通じてあっさり捨てられた理由が説明出来ない。又、ゴンブリッチの「再現されたものがその様式によって認識される」(芸術と幻影p134)を採用するなら、この場合、彼の言い分に反し、様式のせいで知覚認識したものが描かれなかったとなり、知覚認識とは全く別の独立した摩訶不思議な様式があるということになり、そんな様式とは一体何だ、ということになる。

 以上のことは総じて網膜像=視覚像では無いということを示唆している、ということです。つまり網膜像と知覚認識された視覚像とは違うもの、という可能性を示唆しており、網膜像は普遍で人類共通と言ってもいいかも知れないが、知覚認識は時代や地域において異なり、そしてそれはある時ダイナミックに変化するということです。

 これに関連した脳科学分野の小論文があります。
 「物体の視覚像の脳内表現」では「認識は目でなく、心臓でもなく、脳で起こる。」と最初に書かれます。つまり網膜像は認識ではないと言うことです。それによれば、物体を見た時に活性する脳の精緻な部位を微小電極や磁気で探ると、一つ一つの細胞で対応しているのではなく、物体が持つ特長的な図形に反応する約一万個の細胞の各グループの組み合わせにおける活性が見られるといいます。このグループをコラムといい、側頭葉全体では約1300個のコラムがあるといいます。この論文が面白いのは、その組み合わせをアルファベットに喩えます。英語では28個のアルファベットの組み合わせで一万個以上の単語を表し、側頭葉では1300個の図形アルファベットの組み合わせで物体の像を表すということです。そしてこの図形アルファベットは固定したものではなく、大人の動物でも、視覚体験の変化によってダイナミックに変化することが明らかになったと述べられています。…変化するのです。

 この「図形アルファベット」は何かゴンブリッチの「図式」を彷彿とさせます。そしてゴンブリッチの「画家は見たままを描けない」に話を戻すと、彼は写真原理の絵が表す「見たまま=視覚像」という一般的想定があることを、まず認めます。そしてその想定が正しいとすれば、画家たちが実際に行う作業は一体何かということです。その作業とは、画家が現実のモデルを前にし、それを描く前に、何年もデッサン帖や図版を模写するということであり、それは何故か、ということです。見たまま描けるのであればそうした作業は何なのか、ということです。そして彼は膨大な資料を漁り、そうした絵の背後にある過去から継承されてきた「図式」なるものを発見します。そして画家の何年もデッサン帖や図版を模写するという作業は、この図式の習得であり、その習得された図式を現実にあてはめ、絵が作られるというのが彼の主張です。
 「図式」を「図形アルファベット」に類比するならば、習得されたアルファベットがその組み合わせで現実を指し示す単語を作るように、又、脳内で形成された「図形アルファベット」の各コラムがその組み合わせで現実の物体の姿態を認識するように、習得された「図式」の組み合わせにおいて現実のイメージを描き表す、となります。この工程をゴンブリッチは「図式と修正」と呼び、写真原理の絵が持つ「見たまま=視覚像」という一般的想定は正しくない、つまり習得された図式を現実に当てはめるのであって「画家は見たままを描けない」という結論に達するのが彼の著作「芸術と幻影」です。

 又、私の考えの流れは、ゴンブリッチとは異なり、彼が画家の実質的作業から論を起こしたのに対し、私は私が認識し、それを描く廊下の「ハ」の字や青空を、何故昔の絵師たちは、あるいは西洋中世までの描き手たちは<一切>描かなかったのだろう、という素朴な疑問が端緒です。私が認識した外部世界の姿態を、同じように絵師たちも認識していたなら、それを描いたはずだという、同じ描き手としての素朴な疑問がその発端です。そして視覚像はそのまま記憶されないという事実から、概念に変換された記憶が知覚認識の本体であり、その知覚認識は古来よりの「写しの原理」などのシステムにより構築され、それが現実を映す視覚像というものの記憶にフィードバックされるのではないか、という考えです。この場合、知覚認識された記憶としての視覚像は不変ではなく変わり得るということで、絵師がそれを描かなかった理由が説明できます。そして「写しの原理」はゴンブリッチの「図式と修正」と多くの部分で重なります。そしてゴンブリッチが言う「絵は概念である」や「画家は見たままを描けない」は当然の帰結となります。

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参考文献 物体の視覚像の脳内表現
     モノを見分ける脳のメカニズムの一端を解明
     アルハゼンとウィテロにおける視覚像の神経伝達

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