自慢話になるかも知れないが、私は幼い頃より絵ばかり描いていたせいもあり、絵が上手い子で通っていた。小学校に上る前は町内で一番だったし、小学校に入って2年生の春、パリの国際児童画展で金賞を取ったこともあり、その噂は学区に広まった。中学では先生たちは「絵が上手い子」という予備知識を持って私に接し、美術の先生は会うなり美術部の入部を勧め、そして絵の道に進むことを期待した。
 その先生の勧めで美術科のある高校へ進むのだが、そこで初めて、全く異なった二種類の絵があることを知った。石膏デッサンだ。
 その学校は明治に創設された東京のフォンタネージ率いる工部画学校を模したような所で、西洋美術の技術を徹底的に教え込む学校だった。これが美術の基礎だと、口をすっぱくして先生が言うのが石膏デッサンであり、それは今まで描いてきた絵とは全く異なっていた。多かれ少なかれ、私と同じような「絵の上手い子」が全国から集まったのであろうが、クラスの誰一人、それを上手く描けず、まるで過去を帳消しにし、白紙の状態でスタートラインにならばされた気分だった。
 ここで問題にしたいのは、自慢話でも何でもなく、美術の基礎だと先生が言う石膏デッサンと、今まで親しんできた絵と何がどう違うのかということだ。
 一口で言うと、石膏デッサンとは視覚像の転写だ。石膏像に向かうと、当たり前だが石膏像が見える。今見えているそれが私の視覚像で、片目をつむりデッサンスケールで四角く切り取った私の視覚像を計測棒などで計測しながら、それを木炭紙に正確に転写する。ここで計測するのは石膏像という実体ではなく、あくまで石膏像が見える私の視覚像を計測するのだ。つまり描こうとする対象は石膏像という実体ではなく、私の視覚像なのだ。これがフォンタネージが持ち込んだ石膏デッサンでありリアリズムの技術だ。

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 こうした経験は今までに無く、全く初めてだった。小中学校を通じて写生はしたが、それは例えば、目の前にあるリンゴや神社を描こうとする場合、対象はリンゴや神社の実体であり、視覚像などでは決して無かった。そしてそれは計測などしなくとも容易く描けたし、時間がなければ家に持ち帰り続きを描くことができた。
 小中学校まで描く絵の殆どは記憶や想像で描くのであり、写生は授業や写生大会などに限られていたが、今にして思えば、写生であろうと記憶であろうと描き方としては同じだった。例えばモデルとしての同級生のB子さんが目の前にいようと、運動場にいようと、B子さんは私の頭の中におり、それを描くだけだった。ただ目の前にいる場合、今日着ているセーターの柄や新しい擦り傷の跡があるといった細かいところが描けるという、それだけの違いだけだった。
 しかし高校の授業は一転する。何せ、今まではリンゴや神社、B子さんという実体に対する私の認識を描けばよかったが、対象が視覚像に変わったからである。視覚像はその場限りのもので、家に持って帰って続きを描くなど言うに及ばず、3cm視点を移動するだけで今までの計測は無駄になるし、目をそらせば一瞬で消えてなくなる。石膏デッサンが難儀なのは視覚像は維持できないというところにある。
 それでも高校を卒業して2年くらいは視覚像と本格的に格闘したが、結局、それを続けてもらちはあかぬと以前のもう一つの絵に戻るのだが、その頃の、絵の上手い子だったはずの仲間たちの多くは、先生の言った「これが美術の基礎だ」を信じフォンタネージを実践し、やがて沈没した。
 今にして思えば、石膏デッサンと言う訓練法は、西洋の画家の建前を示すポーズだったのではないかと思ったりもする。それはどういうことかというと、石膏デッサンという訓練法を考えたのは新古典主義のダヴィッドであり弟子のアングルだが、彼らの精緻なリアリズムは、こうしたたゆまぬ努力の結果、体一つで成し得るということを喧伝するデモではなかったのかと。実際はホックニ―が「秘密の技法」で暴露するように光学機器を使っていたが、それはホックニ―が言うように、あくまで秘密の技法であり、表向きにはアカデミーなどで画学生が石膏デッサンに励むのを一般人に見せつけ、ダヴィットやアングルら、そして歴史に残るリアリズムの大家の値打ちを上げる工作ではなかったかと思う。
 もし、そうであるなら、サンタクロースを信じるように、一般人がそれを信じても然したる弊害はないが、それを信じ沈没していった若き画学生は気の毒である。そしてそれを本心から信じていたのか、あるいは薄々は気付いていたのか解らないが、それを若者に教授するフォンタネージを始めとする多くの教師たちはやっぱり弊害だ。視覚像の転写など本当は不可能だし、絵の対象が視覚像だなんて、やっぱり不自然だ。
 幼児の描く絵のスタンダードは、家を描き、その中に父親と母親、それに自分を描く絵だが、この時、幼児は自分の家の外観を確かめに外になど行かないし、増してや自分の視覚像を計測したりはしない。彼女はリビングか自分の部屋で描くのであって、頭の中にある図像を抽出し、それを現実のシチュエーションに見立てるのだ。そして彼女の頭に在る図像とは絵本やマンガ、アニメから学んだ図像である。これをゴンブリッチは「図式」と呼ぶのだが、彼女の絵に関して在るのは、彼女の周りの現実と、それを表現する未だ貧弱かも知れないが、頭の中にある図像、もしくは図式であり、そこには視覚像など何処にも無い。
 人間は言語を覚え、それにより現実を把握し表現するように、絵を描くのだと思う。絵とはそういうもので、これは私が親しんできた一方の絵と全くフィットする。
 私が絵を描き始めたのは5歳くらいとすると、60を過ぎ、今、取り組んでいる俳画までの絵を俯瞰すれば、その創作原理は完璧に一致していると思う。ただ、視覚像と取り組んだ3〜4年を除いての話だが、その時期は反面教師になったとはいえ、限りなく無駄な時間だったと思う。

ろくろ首1





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