カテゴリ: 芸術と幻影

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 E・H・ゴンブリッチ著作の「芸術と幻影」には以下のような文章が紹介されている。それは20世紀初頭、ヨーロッパに渡った日本人美術家マキノ・ヨシオの回顧録にある彼の少年時代のエピソードだ。

「透視画法については、いささか父にまつわる思い出があります。私が中学の図学の教材を買ったときに、その教科書の中に正しい透視画法で描いた四角な箱の図が出ていました。父がそれを見て、『何だこれは。この箱は四角どころか、ひどくひんまがって見えるよ。』と申したのです。それから九年ほど経て、父が同じ教科書を見ていたときに、私を呼びこういったのです。『妙なことがあればあるものだ。覚えているだろうが、俺は以前この四角の箱の図がゆがんで見えると思っていたものだが、今見るとまったく正しいものに思えるのだよ。』(中略)この一例でもおわかり頂けると思うのですが、自然の法則を知らない者には、まったく正しい物がまったく間違っているように見えるのです。私が科学的な訓練を受けなければならないという理由もそのようなわけからでして、気に食わなく思えてもこれは必要なことで、人の勘だけに頼るべきではないと思いますし、それは非常に危険なことです。」

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 このエピソードに描かれているマキノの父とマキノその人が抱いた感想こそが、この先、延々と続く日本美術の姿勢と方向を決定付ける象徴になっている。
 こうした感想を胸にマキノはヨーロッパに赴き、美術の勉強に励むのだが、この時点でマキノは、あるいは我々は、熟慮を重ねるべきもう一つの重要な可能性を破棄してしまったのだ。そしてこの状況は現在においても大筋で変わっていない。

 このエピソードをマキノのホラ話だと主張するなら、そう主張する者に対してそれを覆す術は何もない。しかし私はこのエピソードは真実だと思うし、又、マキノの父が特殊な事例でないといえるのは、「自然の法則を知らない者には、まったく正しい物がまったく間違っているように見えるのです。」…とマキノがいうように「自然の法則」つまり透視法を知らない者一般と解釈できるからだ。
 透視法が日本に入り、絵師たちの一部がそれに夢中になるまで日本人は透視法を知らなかったのだ。マキノの父も知らなかったし、中学生のマキノ自身もそうだったろう。だから彼がそれを知った時、「気に食わなく思えてもこれは必要なこと」と、ヨーロッパに渡る動機になったのではないか。

 ホラ話だとする主張に対し、これを覆すのが難しいのは、我々のいわゆる視覚に対する信頼の度合いが極めて高いからだろう。絵師たちは四角い箱の描写はいうに及ばず、真っ直ぐ伸びる寝殿造りの廊下やタタミさえ何処まで行っても平行に描いている。しかし我々が寝殿造りの廊下に立ったなら、遠くへ行くほどそれは先細り、「ハ」の字を形成し、又、そう認識する。
 この「そう見え、そう認識する」という自身の知覚の揺るがぬ信頼において、絵師達もそう見え、そう認識したはずだということになる。そして絵師が廊下を「ハ」の字に描かなかったのは厳格に規定されていた当時の絵画様式に縛られていたからだとなる。しかし、もし、絵師たちが「そう見え、そう認識する」ならば「そう描く」のが絵描きの本性だと私は思うのだ。そして絵師達は「そう見え、そう認識する」ことがなかったからそう描かなかったのであり、透視法を知らなかったマキノの父が教科書に描かれていた箱を歪んでいると評したエピソードが真実であると思うのもそうした理由からだ。
 マキノの父は透視法で描かれた四角い箱を歪んでいると認識した。そのことは実際に在る四角い箱は描かれた図のように認識されていなかったからであり、もしそう認識されていたなら歪んでいるとは思わなかったはずだ。しかしこの図を見ているうち、歪んでいると思わなくなったのは実際の四角い箱がこの図に適合したからである。

 つまり物の形や空間の知覚は、流通する図像において規定されるという可能性だ。これが熟慮を重ねるべきもう一つの重要な可能性だ。
 しかしマキノが透視法を「自然の法則」とし、それを「知らない者には、まったく正しい物がまったく間違っているように見えるのです。」と断じてしまったこと、あるいは透視法を人間の見えに最も忠実な絵画技法と、ほんの少しでも同意することは、それはもう一つの可能性を破棄することであり自動的に近代から現代に至る西洋美術の文脈に沿うことを象徴的に意味している。そしてこれが正に明治以降の日本美術の姿勢と方向だったのではないか。

 E・H・ゴンブリッチはその著作において、驚くべきことに、西洋人でありながら、この本家本元の西洋美術の文脈に疑問を呈しているのだ。それも物の形や空間の知覚は、流通する図像において規定されるというもう一つの根本的問題を持ち出すことによってだ。
 惜しむらくは、何故こうした意見が日本人から提出できなかったかということだ。

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 E・Hゴンブリッチの意見に最も賛同できる所は、絵画は概念的であるということだ。そして一般的には中世から18世紀までの頃は、「誰もがみな、およそ芸術とは『概念的』なものだと信じて疑わなかった」と述べていることだ。  そんなことは思ってもいなかったが、名だたる美術史家が言うのだから本当のことなのだろう。西洋内部からの貴重な証言だと思う。

 それは「再現」という絵画のあり方についての考察であり、「見たものwhat they saw」を描くことと、「知ったものwhat they knew」を描くということの美術史上の対立において、私がかねてより主張する明治以来の日本美術がとった進路が間違いだったということを、このことを持って示唆しているからだ。つまり永らく続いてきた粉本や画帳などのお手本を元にして絵が描かれる、あるいはお手本を写す臨画、罫画教育が未開の業として否定され、個が見て感じたものを描くという進路だ。

 ゴンブリッチは「自分が見ているものを描くことはできないし、習慣を完全に払拭することもできない」と述べている。そしてその根拠となるる事例を挙げている。しかし日本美術の進路の決定は「それが出来る」ことの根拠であった作品、つまりリアリズム絵画、又は透視法絵画、写実絵画の存在があったればこそだったのではないか。しかしゴンブリッチが言うには、そうした作品は、実際は我々がそう信じたようには描かれていなかったということを告げているのだ。

 つまりこれらの作品制作の基本は模写、つまりお手本を写すことによって物の描き方を記憶として取り入れることであり、それは我々自ら否定した粉本や画帳などのお手本を元にして絵が描かれるという画法に類比できるということだろう。

 まず彼は再現された15ー19世紀の3っつの作品と実物との食い違いを指摘し、論を進める。

…ここに取り上げた資料はささやかながら、個別的形態を忠実に記録したいと思う美術家なら誰でもとる手続きについて、実に多くのことを語ってくれていると考える。彼は視覚的印象ではなくて自分が抱いている観念とか概念で絵を描き始める。…彼はできるだけこの概念を例の個別的城砦にも適用しようとするし、…そして石版画家は大聖堂について独自のステレオタイプを持っているわけである。前述したような著しい特徴を持つ個別的な視覚情報は、いうなれば既成の書式用紙もしくは法式書に記入される。そして書式用紙などの場合によくあることだが、欠かせない重要な情報と思われる項目のないものは、情報用には余り役立たないことになるわけだ。…(p114~p115)

 つまり「何も無いところから忠実なイメージは創れない」(p129)のであり、概念としての書式用紙、フォーマットがまず必要で、そこに個別の特徴を当てはめていくということだ。    これはこういうことなのだろう。例えば幼児が母親の顔を描こうとする時、「何も無いところから忠実なイメージは創れない」のであり、従って幼児は絵本やアニメやマンガから読み取った顔、表情を記憶し、それをフォーマットに母親の個別の特徴、例えば口の下部にほくろがあるとか、赤い横長のめがねをかけているとか、もじゃもじゃパーマの頭髪だとかを記入して個別に適用させる。  「幼児が今見ている母親を(フォーマットなしに、そのまま見たとおり)描くことはできない」というのは一般的な幼児の描く顔や人の絵が典型として共通しているというのがその根拠である。児童心理学の分野ではそれを「オタマジャクシ人間」と呼んでいる。

 そして15世紀以降のリアリズムの画家でさえ、そのフォーマットの構築は幼児の絵本やアニメやマンガのごとく、既成の版画やデッサンを徹底的に模写し、その描き方を頭に叩き込むのだとゴンブリッチは言う。記憶としてのフォーマットの構築、それが絵画は概念的とする所以だ。

「…たとえ人体デッサンの教室で腕を磨けるようになろうと、まず第一に学ぶべきは『人というもの』の描き方だったのである。アカデミーでは、版画の模写から古典古代の名作のデッサンまで、注意深く段階付けられた課程が設けられていて、何年もかけてこれらの課程を習得した後、初めて美術家は現実のモチーフと取り組むことが許された。中世から18世紀に至る間の美術が連綿として連続することができた因は、実にこのような伝統習得についての強要があるからであって、その間ずっと図柄は何ら挑戦を受けることなく支配し続けたのである。(p226)

 。そしてお手本として使用され、それを写すことにより記憶に取り込み、概念のフォーマットとしたとされる、模写用の画材が存在し、彼はそれを紹介している。1538年に編纂された「図柄見本帳」、1538年刊の「人体均衡指導書」、デューラーの「ドレスデン画帳」、1608年「人体のあらゆる部分や手足を描くための真の方法と順序」、工房やアトリエで使用による消滅を免れた画帳などを1888年から収集している「サウス・ケンジントン国立美術図書館蔵の書籍及び小冊子目録」などがそうだという。

 これらは正に日本における臨写、臨画用の粉本や画帳の類、あるいはその行為とどう違いがあるのかというのと同時に、以前「臨画、罫画のススメ」で書いたヴィクトリア朝においての模写の在り様を訂正する必要がある。私は模写と粉本や画帳による臨写、臨画を根本的に異質なものと解していたからだ。  しかしゴンブリッチのこの指摘において、より辻褄が合う。

 つまり前出のマキノヨシオやその他の多くの日本人が信じたリアリズムという描画原理はそれに反し、少なくとも18世紀まで、実際は彼ら自らが未開の業と否定した粉本や画帳による臨写、臨画と類似の行為、それに加え、ホックニーの主張する光学機器を用いて行われていたということだ。

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 E・H・ゴンブリッチが言う「絵画は概念的だ」ということの意味するのは、絵を描くためには「学んで知った形」、つまり記憶にある概念としての図式や様式がどうしても必要で、それを基にして描くのであり、画家それぞれが自分の「目が見たものを描く」のではないということだ。  このことは、画家の「目が見たものを描く」ことへの欲求は、「学んで知った形」をフォーマットとして、現実の視覚情報にそれを合わせ、追加、修正する、すなわち「図式と修正」という手続きを持って成されるという。

 そして「目が見たものを描く」ことへの画家達の欲求、あるいはその発見は、ルネッサンスの時代を迎え現れ始めるとしているのだが、しかしその原初の波は古代ギリシャに遡るのだという。

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 この著作で引用されている「イーデー山のパリス」(1世紀ポンペイ壁画)には「目が見たものを描く」という画家の欲求が垣間見えるのは確かだと思う、しかしルネッサンス期に光学機器の使用から導かれた透視法による視覚の再現に比べると、やはり心理的説得力のインパクトに欠けるのではなかったか。  だから、それ故に、それに対する過激とも言える警句がなされ、その警句による考えが基本的に、この先延々と支持され、視覚の再現という欲求から画家達を遠ざからしたのではないか。  この警句とはプラトンのイデア論である。

「彼は当時の人々に向かって、美術家が合わせるものは『外観』にすぎず、彼はイリュージョンの世界の人であり、人の目を欺く鏡の世界の人であることを説いたのである。真実の献身者である工匠のような製作者であればまだ我慢ができるのだが、変わりやすい感覚の世界の模倣者として、美術家が私たちを真実から連れ去るが故に、国外に追放されなければならないとプラトンは考える。」p172

 プラトンは実在の在りかは目に見える世界の基底にあるイデア、あるいは概念だとした。恐らく当時の人々はこの考えに納得できる素地を持っていたのだろう。それは視覚は触覚や味覚、嗅覚と同じ類の個人的な感覚の一つであり、その感覚の他人への共有は言葉などの概念を介すことなしには伝えることが出来ないという経験的素地だ。

 しかし15世紀ルネッサンスに突然現れた透視法絵画、あるいは手描きの写真により、視覚への優遇が生まれ、イデア論は粉砕される。つまりリアリズム=実在論の意味するところが変るのである。  現在、美術の分野でリアリズムという語は写実主義などと訳され、それはクールベに代表される見たとおりの現実世界を描くというものであり、それは素朴実在論=ナイーブリアリズムに連携している。素朴実在論とは見える世界が実在するという考えだ。  しかし透視法以前の古代から中世までの議論に「普遍論争」というのがあり、それは唯名論と実在論の論争であり、その折の実在論とは見える世界ではなく、プラトンを祖にするイデア、あるいは概念の実在を主張するものだったのである。日本語ではこの実在論を実念論などと訳されているが、英語表記では同じリアリズムである。つまり同じリアリズムという語の意味することが概念から視覚へ変ったのである。ちなみに唯名論とはプラトンの弟子のアリストテレスが唱えた「形相」論を祖にするといわれ、少なくともこの論争には視覚という問題は特に重要ではない。

 そして重要なのは、このリアリズムの変化は主観、客観という考えが付随しているということだ。この変化に伴って主観、客観が生じたのであり、それ以前はそんなものは無かったということだ。日本語においてこれが意味することは非常に解りやすく、それは「主が観る」と「客が観る」の「観る」ことの区別だろう。しかし英語では客観も主観も語源は「subjectum」に行き着く。subjectumが主観=サブジェグトと客観=オブジェクトに分かれたのであり、「ジェクト=位置する、移動する」に接頭辞「サブ=下に」が付き、元々サブジェクトは基体、基底を表し、これはプラトンのイデア、あるいは概念に通じるのだろう。ちなみに「オブ/ジェクト」は「前、あるいは上に/位置する、移動する」となる。

 それではそれまで、言葉などの概念を介すことなしには伝えることが出来ない触覚や味覚、嗅覚と同じ類の視覚が如何にして特別な地位を得たのか。  それは写真の出現である。    光学一眼レフカメラを想像して欲しい。我々は片目でカメラのファインダーを覗きシャッターを押す。そしてプリントされたその写真を見れば、覗いたファインダーの片目が見た風景と同じもの、あるいはそのコピーが紙の物質として抽出されたと認識されるだろう。あるいは又、シャッターを押した瞬間に、その後方に逃亡中の容疑者が居たとなると、その視覚のコピーである物質としての写真プリントはその容疑者がそこ居たという証拠として司法的に採用されるのだ。あるいは、都会に住む兄の元へ送られて来た妹が撮った実家の両親の写真は、立場が逆であっても、つまり兄が実家で撮った写真を都会に住む妹に送られてきたとしても同じく実家で撮った写真と認識されるだろう。つまり実家で撮られたその写真は、兄であろうと妹であろうと、又、誰であろうと、そこにおいてファインダーを覗けばその同じ風景が見えるということを担保しているのだ。このことは、個々の感覚としての視覚に、客観性が生じたということだろう。  そして次に、客観性としてのその同じ視覚に、同時に主観性が生じる。これは印象派、後期印象派が多用した技法、デフォルメを考えると明らかだろう。デフォルメとは「変形」と訳される。変形と言うからには変形する素材が必要だろう。何を変形するというのか。それは客観としての自らの視覚である。客観としての自らの視覚を、それを見る主観を根拠として変形するのである。つまり一つの己の視覚の内に同時に、主観と客観を設定するのである。  これはよく考えればおかしな話であるし、そもそも触覚や嗅覚の物質的コピーとしての抽出などあり得ないのと同様に視覚のコピーなどあり得ないのだ。

 恐らくこれが真っ当なイデア論を粉砕したインパクトのある透視法の効用であると思うのだが、そしてこのことがあまり考慮されていないのも確かなのだ。  又、リアリズムの変化、主観、客観の成立、そして英語における主語、述語、サブジェクト、オブジェクトのS+V+O構文の成立がこの透視法成立の15世紀前後にすべて集中している点も偶然とは言えないと思うのだ。

 言うまでもなく、このリアリズムの変化と主観、客観の成立が15世紀の透視法と関わっているというのは私の仮説であるのだが、この仮説の提出に対する受け止め方がその後の可能性を左右するのではないかと思う。  つい最近、美術史を専門とするS氏にこの私の仮説について、これが仮説として成り立つかどうかを尋ねた折、彼は主観、客観の問題は、ルネ・デカルトの理論に対する言及がない限り全く無効で成り立たないと言った。しかしこうした態度がこの分野の遅れを象徴しているのではないのか。  この分野は物理学や分子生物学のように実験による実証は出来ないのである。少なくとも私の論拠の不備を突き、論証するのがスジだろう。その筋の権威がこういっているからこうなんだでは、何も始まらないと思う。

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「画家たちは『目が見たものを描く』という単純な要求が、それ自体矛盾を含んでいることを既に知った。そのため芸術は途方に暮れてしまったのだ。」p244

「見える通りに描くと考えが現れ始めたのはやっとルネッサンスの時代を迎えてからである。…しかし、どの世代にも思いがけない伏兵の拠点、つまり因習という砦が相変わらず待っており、これが彼らに見たものよりむしろ、学んで知った形を描かせたのであった。19世紀の反逆児たちはこれら因習のことごとくを一掃しようと提案したのである。」p245 

 これが書かれているのは「美術の歩み(下) 」 友部 直 訳 改訂新版 美術出版社です。この部分の精緻で丹念な再論証を試みたのが「芸術と幻影 」であり、ここではこうした内容がいたるところで繰り返されています。例えばp525「回想」の2行〜12行、p525 2行〜14行を読んでください。  又、「自分が見ているものを描くことはできない…」p7とも書かれています。    

 ところであなたはスケッチやクロッキーをしたことないのですか。一分間クロッキーとはモデルがポーズする一分以内でそのポーズしているモデルを描くものであり、従って通常、目はモデルとスケッチブックを秒単位で何度も往復します。  何故そうするのかというと、人は機能的に見たものを記憶できないからであり、それにもかかわらず見たものを描こうという要求があるからです。  
 見たものを記憶できるなら秒単位で何度も往復する必要もないし、又、見たものを描こうとしないなら、つまり概念に変換しその記憶を描くならば、これも秒単位で何度も往復する必要もないのです。従って、この行為自体が出来ないことをやろうとする矛盾を露呈しているのです。それにもかかわらず、この行為が見たものを描く方法だと、あなたや多くの一般の人は信じています。  ゴンブリッチの主張の一つはこの思い込みに向けられています。

「美術家は『自分が見ているものを描く』ことはできないし、習慣を完全に払拭することもできない、とする趣意の私の主張は、警句的で独断的なものと受け止められてもやむをえまい。この自説を明確に実証するために、私は誠に重宝な知覚理論なるものの再検討をしなければならなかった。」p7  として、「芸術と幻影」はその再検討の記録であるといっています。  どうやったら「芸術と幻影」をあなたのような読み方ができるのか全く信じられません。文献や提出された科学的データを自分たちの思い込みを基に捻じ曲げ解釈する何とかの塔からやって来る人たちを思い出します。

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 そしてヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の肖像」に描かれている犬の絵の描き方なのですが、私が「図像の写し」としたのは「写し」の描画原理をいったのであり、何かをコピーするこどではありません。  つまり「写し」の描画原理とは粉本や画帳の図像を何度も写すことにより、その図像を概念化して絵師の長期記憶に保存することであり、その記憶をアーカイブとして、その断片をアウトプットし組み合わせ、変形し、新しい絵を創るというものです。これはマンガの描画原理に類比できます。「臨画、罫画のススメ(4)」のアンソニーの事例をお読みください。 http://manji.blog.eonet.jp/art/2012/01/post-a5b2.html

 そしてここに来て、ゴンブリッチという頼もしい味方が現れました。彼が言うのには「何も無いところから忠実なイメージは創れない」p129 のであり、そこには描き方という知識、図像のフォーマットが必要であるということです。  そしてルネッサンスになり「自分が見ているものを描く」という欲求が生じてからは、その図像のフォーマットを、現実の視覚情報に合わせ、追加、修正する、すなわち「図式と修正」という手続きを持って成されるといいます。又、そのフォーマットがなければ描くことはおろか見ることもできないということです。p38  そしてこのフォーマットの構築は絶え間ない模写によって成されるということであり、この主張は私の「写しの原理」と大筋において重なります。

 ヤン・ファン・エイクの犬はこうして描かれたのです。ゴンブリッチに言わせると犬の描き方という図像のフォーマットがまずあって、そのフォーマットに現実の犬に合わせる「図式と修正」が成されたということです。  あなたの考えは、そこにいる現実の犬を見えたとおり描いたということになるのでしょうが、それには視覚記憶が問題になります。そして天才はそれを成し得るということになるのでしょうが、特殊な場合を除きそれはまずありません。少なくとも印象派が現れるまで、画家は陶器職人や庭師などと同じ、職業の一つだったのです。

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例えば東西を問わず、ドラゴンの絵は沢山ありますが、この実際には存在しないドラゴンはどうやって描かれたのかということです。実際それを見ることは叶いません。あるいは鳥獣戯画のカエルやウサギの絵はどうやって描かれたのかということです。
 以前あなたのコメントで、カエルを捕まえてきてそれを殺し、相撲のポーズをさせ、それを見える通り描いたのではないか、私ならそうすると言っていましたが、そんな怖いことをするのはあなただけです。普通絵描きはそんなことは考えません。そして私も絵描きの端くれです。だから「赤い裸婦」や「逆立ちに挑戦する鶏」を提示したのは、「写しの原理」でそれが普通に描けるいうことを伝えたかったからに他なりません。

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Kioku03

 以前「記憶というもの2」において、人におけるイメージの記憶は「ビデオ映像を再生するようにではなく、もっと空ろで印象的で抽象的です。」と書きました。そして抽象とは辞書によると「事物または表象からある要素・側面・性質をぬきだして把握すること。」とあります。…とも書きました。
 これを絵を描くという行為に関係づけると、E・H・ゴンブリッチは「芸術と幻影ー絵画的表現の心理学的研究」で以下のように書いています。

「中性的自然主義(ニュートラル・ナチュラリズム)などというものは存在しない。文筆家同様美術家は、現実(世界)の「模写」に乗り出す前に、まず語彙を必要とするのである。」P133

 ニュートラル・ナチュラリズムとは、画家、あるいは人は、ただ見る(観察)ことによって現実世界の様相の全てを把握する、又は、把握出来るとするもので、彼はそんなものは存在しないと言うのです。そうではなく、把握するには文筆家同様、語彙が必要だという訳です。
 彼はその語彙を「美術の言語」と呼び、「見える世界をイメージで記述するために、一段と開発された図式システムが必要だ…」p134 …とします。「美術の言語」は言語システムならぬ時代と共に変化する(開発される)「図式システム」に則っているということです。

 この「図式システム」を彼は役所などに提出する書式用紙(フォーマット)に例えています。記入する箇所は個別の情報であり、「(記入する)欠かせない重要な情報と思われる項目の無いもの(以外のもの)は情報用にはあまり役立たないことになるわけだ。p115…と言います。
 つまり「図式システム」の「美術の言語」とは現実世界をフォーマットに則して切り取り構成する、いわば現実をフォーマットに合すシステムだということです。そして現実世界の様相を捉えるのには、まずそうした「美術の言語」、フォーマットが必要だということです。

 ここで問題にしたいのは、以上のことが人における一般的なイメージの記憶にすっぽり重なるのではないかということです。

 画家が風景を写生するとします。ゴンブリッチによれば、この時、画家は複雑な現実の風景を「抽象化」「単純化」し、山なり海なりを明確に区別して描くのではなく、画家があらかじめ持っている「美術の言語」「フォーマット」が「おおよその漠然とした部類を表すものであって」…まず、現実世界をそれに当てはめ、そこから個別の視覚から得られる情報に則し、フォーマットを修正し、現実に近づけ、合わせるのだと言います。p116
 このことは辞書に書いてある抽象化~「事物または表象からある要素・側面・性質をぬきだして把握すること。」…とは真逆の進路を辿ることになります。

 「表象」とはブリタニカ百科事典では、 「 外界に刺激が存在せずに引起された事物,事象に対応する心的活動ないし意識内容のことで,以前の経験を想起することにより生じる記憶表象,想像の働きにより生じる想像表象などが区別される。 」  …とあります。
 又、デジタル大辞泉では、 「1 象徴。シンボル。また、象徴的に表すこと。『解放された精神を―する造形』
  2 哲学・心理学で、直観的に心に思い浮かべられる外的対象像をいう。知覚的、具象的であり、抽象的な事象を表す概念や理念とは異なる。心像。 」

 ブリタニカ、デジタル大辞泉の2において、「表象」とはおおよそ記憶にある事物のイメージと言っていいかと思います。そして「抽象」の「事物または”表象”からある要素・側面・性質をぬきだして把握すること。」という部分においてゴンブリッチの意見と食い違うことになります。

 つまり、件の画家が絵を描くため、まず風景を眺めます。そしてパレットに目をやり、カンバスに目をやります。あるいはカンバスが先でパレットが後かも知れませんが、いずれにしてもカンバスに描こうとするのは彼が直前見た記憶の中の風景のイメージです。これが現実世界の表象です。
 これは視覚記憶(アイコニックメモリー)の保持時間は一秒以内であることは認知心理学のスパーリングの実験(1960)で明らかにされていることに因ります。そして 視覚記憶は長期記憶のアーカイブから参照され、一秒以内に符号化され短期記憶に移されるといいます。符号化とは概念化と言っていいかと思います。又、「長期記憶のアーカイブから参照され、符号化され…」という箇所において、ゴンブリッチの「フォーマットに現実を合わせる」に通じるかと思います。いずれにしても人間の視覚記憶は一秒以内であり、無いのも同じなのです。
 従ってカンバスに目をやり描こうとするイメージは直前見た風景の記憶であり、それが風景の表象であり、それは修正する前の大まかなフォーマットなのです。

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 つまり、絵を描くか描かないかを別にすると、そして画家が取得したフォーマットの量を別にすれば、この経緯は万人に通じるということです。
 「記憶というもの2」でも書きましたが、たまたま道ですれ違った人や、たまたま行った銀行のカウンターで会話を交わした行員のイメージをその後、思い浮かべることは、何かとんでもないインパクトがあったり、始めから記憶しようと思わない限り、出来ないということは誰もが同意されることと思います。もし、そうしたインパクト等があったにしても、あくる日にはそのイメージは殆ど再生できません。

 しかし、その人が東洋人であったとか、白人であったとか、あるいは黒人であったとか、老婆であったとか、子供であったとか、という「おおよその漠然とした部類を表すもの」p116 は記憶に残っています。これがゴンブリッチのいうフォーマットであり最初の表象です。

 その後、その人に何度も会うことにより、フォーマットは現実に合うよう修正され、時によってはそれが長期記憶になります。両親や家内、娘、あるいは会ったことのないジョンレノンやハンフリーボガードはイメージ出来、空で似顔絵も描けるのに、たまたま道ですれ違った人やカウンターの行員は、その直後でもイメージ出来ないのはそういうことだと思います。

 そのことにおいて最初の表象、あるいは大部分の表象は大枠を設定するフォーマットであり、その表象から「ある要素・側面・性質をぬきだして把握すること」という「抽象」はあり得ないということです。
 この概念は「ただ見ることによって現実世界の様相の全てを把握できる」とするニュートラル・ナチュラリズムを想定した限りにおいての概念です。いわば表象は元々抽象的なのです。
 そうしたことで、私が抽象画が好きになれないのはそうした原因があるのかも知れません。抽象画には、いかにもその考えを正当化したいという作為性が見えます。

 又、フォーマットとしての色彩は形や質感より、ずっと弱いのではないかと思います。直視した時の生き生きとした色の感覚は目を離せばすぐ失せてしまいます。従って、記憶としての色彩は「赤」「青」又は「血の色」「コバルトの色」「サップグリーン」など、言語に変換しなければ留めることがなかなか出来ません。

 少し前、集会があり、駐車場に車を止めた時、目の前をメンバーの女性が乗った車が通り過ぎて行きました。100m程通り過ぎた後、私が呼び止め、狭い道だったのでバックで駐車場まで誘導しました。その間約10分。
 彼女の車はマツダの小型RV車で新車らしくピカピカでした。女性の美術家がどんな車を乗るのか興味あったからです。しかし、家に帰って、その状況を思い返しても、車種や大まかな形は覚えているものの、彼女の車の色が何だったか全く思い出せません。色について全くイメージ出来ないのです。10分間も見ていたにも関わらずです。そして無理やり赤の場合が70%で青が30%としました。
 一か月後、同じ集会でその車を再び見ると、コバルトブルーでした。ひょっとすると「美術の言語」、フォーマットに色は含まれないのかも知れません。

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 ニュートラル・ナチュラリズムを信じる人はかなりいます。それは自分の視覚と認識が直結していると率直に信じるということであり、それはある意味当然なのかも知れませんが、しかしその観点に立てば、歴史、美術史を端的に説明できません。この表象、フォーマットは概念であるから、絶えず変化しているのです。
  そしてルネッサンスにおいてこのフォーマットに大きい変更がありました。視覚という要素が現実世界の表現形式に加えられたのです。それが18世紀西洋に論理面においても結実します。
 ゴンブリッチの言うように「中世美術では…3世紀以降、13世紀までのほぼ千年にわたり、美術と視覚世界のつながりは極端に希薄だった。」p218 のであり、それはかつての日本美術に通じています。そしてこの変更がニュートラル・ナチュラリズムを 発生させる訳ですが、その発生したニュートラル・ナチュラリズムはゴンブリッチの図式システムと大きく食い違い、そのことは非西洋である洗練され、2千年以上の伝統のある日本美術の研究が大きく彼に及ぼしたのではないかと推測されます。彼は以下のように書いています。

  「あらゆる点からみて『美術の言語』なる言い方は漠然とした比喩以上のものであり、さらに見える世界をイメージで記述するために、一段と開発された図式システムが必要だという結論になりそうだ。ところで、この結論は、18世紀に盛んに論じられた説と衝突しそうである。従来の考え方は、慣習的な記号である話し言葉と、『自然的』な記号を使って現実を『模倣』する絵画との間に区別を設ける。一見これはもっともらしい区分であるが、幾つかの難問にぶつかった。伝統的な区分説によって、自然的な記号が自然からたやすく模倣できるものと仮定すると、美術史は誠に厄介な判じ物になってしまう。未開人の美術や児童美術は『自然的記号』よりむしろ象徴的言語を使用するということが、19世紀以来、次第に明らかになって来た。この事実を説明するため、見ることにではなく知識に基づいた特殊な美術、つまり、『概念的なイメージ』で操作される美術があるはずだと仮定された。」p134

 未開人の美術としてくくられてはいますが、それが日本美術が大きく考慮されている、というのは、彼が引用する日本人マキノヨシオの逸話です。「『自然的記号』よりむしろ象徴的言語を使用するということが、19世紀以来、次第に明らかになって来た。」というのは西洋人の観点であり、西洋より1000年も長い日本の文化において、そんな観点に組みする必要など全くないと思うのですが。

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 彼の言う18世紀に盛んに論じられた説として、慣習的な記号である話し言葉と、『自然的』な記号を使って現実を『模倣』する絵画との間に区別を設ける…とは解り難いですが、前者はソシュールの言う、観念を伴う言語記号として作用する記号であり、後者は観念を伴わない一般記号とに区分できるということなのでしょう。

 上図右はゴンブリッチが引用した、マキノヨシオの逸話にある図をナトールが彼の著書「新しい模倣」において木と左図を付け加え再引用したものです。

 ゴンブリッチによれば、20世紀初頭、マキノヨシオが中学生の頃、教科書にあった透視法で描かれた箱を父に見せると、父はこの箱は歪んでいる、と言ったということです。つまりマキノの父にすれば、箱はあくまで右図であり、左図では歪んだ箱だったのです。
 しかし9年後、「不思議なことがあるものだ。…今見るとこの図は全く正しいものに思えるのだよ。」とマキノの父が言ったという逸話です。

 ニュートラル・ナチュラリズムを信奉する人にすれば、左図のように見えるのが当然であり、右のように描く日本人は後ろの木が隠れてしまうではないか、…となります。又、18世紀まで日本に左図のように描いた絵が無かったことについて、それは様式の問題であり、日本人でも左図のように見えたに違いない。描かなかっただけだ、とか、あるいは、見えなかったとすればそれは未開人だからだ。…と単純に言い張るしかありません。

 しかしゴンブリッチに言わせれば、「ニュートラル・ナチュラリズムなどというものは存在しない。文筆家同様美術家は、現実(世界)の「模写」に乗り出す前に、まず語彙を必要とするのである。」P133 …のであり、左図は「さらに見える世界をイメージで記述するために、一段と開発された図式システムが必要だ」p134 というように、右図も左図も「美術の言語」フォーマット、図式システムであり、左図は…新しく立ち上がった画家の個人的な視覚経験を反映するものになるまで描き直された…「美術の言語」フォーマット、図式システムなのです。

 我々は左図、つまり私が廊下の「ハ」の字と呼んでいるものですが、現在では殆どの人がフォーマットとしてこれを持っていると思います。そして視覚と認識は直結しないと考えています。視覚で捉えた現実世界を認識するためには、視覚とは全く別物の、言語やゴンブリッチの言う図式システムが必要なのです。いわゆるこれは概念、観念です。ゴンブリッチは言います。

「美術はみな、見える世界そのものに起源があるのではなく、人間の精神、世界に対する反応に始まるのであり、再現されたものがその様式によって認識されるということこそ、まさに美術が『概念的』なるものにほかならぬ。」p134  
   私も全くそう思います。この本「芸術と幻影」を知ったのは昨年ですが、正に我が意を得たり、という感があります。

 廊下の「ハ」の字は透視法により抽出されたものであり、この改変は非常に大きなものです。つまり上の右図から左図への改変です。マキノヨシオを信じるならば、父という完成された精神の持ち主で、その新しい概念を取得するまで9年を要したということです。当の西洋においても、それを新たに抽出し、洗練し、概念として成立させ、いき渡らせるまで、ゴンブリッチが言うには15世紀から18世紀に渡る300年要したことになります。

 それには画家たちの弛まぬ努力があったと彼は言います。それは当時出版された透視図で描かれた膨大なデッサン集の類です。p226〜p244
 これらを当時の画家たちはボロボロになるまで模写し図式を取得したのだと言います。

「 この当時、誰もが皆、およそ芸術とは『概念的』なものだと信じて疑わなかった。つまり、たとえ人体デッサンの教室で腕を磨けるようになろうと、まず第一に学ぶべきは『人というもの』の描き方だったのである。アカデミーでは版画の模写から古典古代の名作のデッサンまで、注意深く段階づけられた課程が設けられていて、何年もかけてこれらの課程を習得したのち、はじめて美術家は現実のモチーフと取り組むことを許された。中世から18世紀に至る間の美術が連綿として連続することができた因は、実にこのような伝統習得についての強要があるからであって、その間ずっと図柄はなんら挑戦を受けることなく支配しつづけたのである。」p226

 彼の言う「伝統習得」とは日本でいう粉本や画帳の「写し」と共通します。このことはやはり、ただ現実世界を見るだけではダメなのです。「ニュートラル・ナチュラリズムなどというものは存在しない。」のです。幻想です。認識し、表現するにはフォーマットの取得が必要なのです。これが私の実感でもあり、そしてそれこそが概念、観念であり、記憶というものの本体です。

 ただ、恨むべくは、ゴンブリッチが言う「伝統習得」は透視法の改変もなく、安定し、極めて洗練され、それに西洋より一貫した長い歴史を持ち、残された資料も西洋を凌ぎ、あるいは、その進化形である世界に類を見ないマンガの文化を持つ日本が何としても上だということです。
 それが15世紀に始まり18世紀に結実する歴史の浅い、あるいは西洋人であるゴンブリッチもが否定する、西洋発のニュートラル・ナチュラリズムが輸入された途端、盲目的にそれを信奉し、過去の文化さえもあっさり塗り替えてしまう日本人が何と多いかということです。

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