バナナ1

 上の作品は、単にバナナの画像に黒い輪郭線を施しただけの、ポップでおしゃれなイラストレーションのように見えるが、その制作方法を知ると、とんでもなく深い石場文子の知覚認識に関わると思われる意図と着眼点が見えてくる。
 この作品は単にバナナの画像に黒い輪郭線を施したのではなく、この被写体となった現実のバナナには、驚くことに初めから黒い輪郭線があったのだ。…というか、この黒い輪郭線は現実のバナナに黒いテープか何かで彼女が付けたものだった。
 そして現実のバナナに施された黒い線は、限定された一つのカメラアングルにおいてバナナの輪郭線となる。…というか、限定された一つのカメラアングルにおいてバナナの輪郭線となるよう現実のバナナに黒い線を施したのだ。
 かくして黒い線を施したバナナは、白いテーブルの上に置かれ、真上からの限定されたカメラアングルにおいて黒い線はバナナの輪郭線となる。しかしそれだけではない。白いテーブルに映るバナナの影も消されているのだ。そしてそれも画像処理によって消されたのではなく、白いテーブルにバナナの影が映らぬよう、現実のバナナを針金か何かでテーブルから浮かせたのだという。つまりこの作品は、あるがままをあるがままに捉えた画像ということだ。そして、石場文子は、この作品を創るにあたって、どうしてこんな手の込んだことをしなければならなかったのか。

石場2

石場3
画像2,3はKUNST ARZT HPから引用

 二枚目の作品も大よそこうした技法が踏襲されている。植木鉢や新聞紙らしき書類の固まりの輪郭線も、現実の植木鉢などに直接施されたものだ。
 こうした作品群から直観的に私は私の仕事との親和性を見出した。そしてここから先は、あくまで私が見出した共通点からの彼女の作品の解析であり、これは本当の所は間違っているのかも知れない。しかし、そうであっても書かずにはおられない共通すると思われる要素があるのは確かだと私は思う。

メディウムマン


 上の作品は、80年代、アートスペース虹での私の個展であり、この時、画廊の稜線やオブジェの稜線に黒いテープやペンキで輪郭線を付けた。そして壁面に掛けられた絵は、絵も含めた画廊の、ある限定された視点からの輪郭線から生じる空間の知覚認識を現わしている。

静物4


 次の画像は、同じく80年代、信濃橋画廊での私の作品だ。この時、実際に存在するテーブルや立方体、ボトル、アイロンなどを白く塗り、白と化した物体に黒い輪郭線を施したオブジェの背後に絵を対応させたものだ。背後の絵は手前がレリーフ状になっており、奥が完全平面のいわゆる絵画だ。つまり、この設えは同じ対象物について、立体、半立体、平面という三層構造を成している。そしてこれを観た多くの人は、三次元空間に存在する物体、つまり現実世界を絵画という平面に移行する過程と解釈したようだ。三次元世界を二次元平面に如何に表現し、再現するのかと。

 しかし、この解釈は全く誤解だ。私が思っていたことは、これとは真逆で、平面図像、つまり絵画の共有が、現実の三次元世界の知覚認識を紡ぎだすといいたかったのだ。
 例えば、右奥平面図像のテーブルの奥行きの稜線「ハ」の字の形の共有において、現実のテーブルが「ハ」の字に見える…という、現実世界の知覚認識は図像によって規定されているのではないかということだ。つまり、現実世界の知覚認識は現実世界の様相が先にあるのではなく、平面図像が先ではないかということだ。

 アートスペース虹での個展も同じで、現実の画廊の床や壁の「そういう形に見える」という認識は、図像の共有において為され、そうした図像が同じ空間に絵画として象徴的に壁に掛けられているという設えだった。
 しかし人間の、視覚はあるがままの現実世界を、あるがままに捉えているという、自分の視覚への信頼、あるいは信心は如何せん絶大であり、多くの人には私の意図が伝わらなかった。
 輪郭線=アウトラインとは読んで字のごとく、その由来は目に映った視覚像のそれぞれの物体の輪郭をなぞり抽出したものだ。そしてそのなぞりにより他の物体と区別、分節し、その空間における物体の関係性を認識する。

 この輪郭線=アウトラインという概念は、15世紀、ルネッサンスの頃、カメラオブスキューラや透写装置などの、当時の最新テクノロジーであった機械的作業によって、個々の視覚が捉える物体の輪郭をなぞり絵を作ることにより生じたのが発端で、それ以前の中世、あるいは西洋絵画が流布される江戸中後期以前の日本にはそうした概念は無かったと思う。
 しかし古くから絵はあり、線で囲まれた物体を示す形はあったが、それは視覚に映しだされた形とは本来的に別物だった。その形とはエルンスト・ゴンブリッチに依拠すれば「図式=スキーマ」であり、それは古代より継承された純然たる図像で、純然たる概念だ。その根源の根源を辿れば文字と図像が分離される以前の縄文の文様やヒエログリフなどに行き着くのだろうが、それは決して視覚像には辿り着けない。それは純然たる概念だからだ。

 例えば、上画像にある現実に存在するボトルとハンマーが乗ったテーブルを見る。その時、目は膨大な視覚情報を大脳に送るが、その情報は知覚認識とはいえず、一秒以内で概ね消え失せる。…長期保存が出来ない視覚情報はここまでだ。そして大脳はその一秒以内とう短期間の内に記憶のアーカイブからの照合に沿って、その視覚情報を取捨選択、あるいは分節し、概念化し、新しい記憶となる。…これが知覚認識だ。

 概念化され、新しい記憶となった以上、それは再現可能となり、一秒後、あるいは一時間後、そして一年後にそれを見ずしても再生できる。つまり思い出すことができる。
 例えば、「2センチほどの厚みのある正方形の天板の真ん中に四角柱の脚がついた白いテーブル」…という言語に視覚情報は置き換えられ、記憶に保存される。そしてこれが概念と呼ばれるものなのだが、しかし言語は視覚情報とは本来的に別物であるばかりでなく、記憶のアーカイブ、…これが古代より継承されたものだが…以外のものには基本的に変換されない。…「個人的に勝手に新しい言語(概念)は造れない」…。変換される概念は基本的にそのアーカイブの範囲内、つまり限界があるのだ。そしてそれと全く同じように、そのイメージがある。
 イメージは言語に付随し、翻訳の役目をはたすのか、あるいは言語と並列的に独立してあるのか、そして言語に先立ってあるのか定かではないが、一秒後、あるいは一時間後、そして一年後にイメージとして思い起こすことが出来る。

 視覚情報は継承された言語に置き換えられるのと全く同様に、同時に継承された図像に置き換えられる。これが純粋概念の、ゴンブリッチ言うところの「図式=スキーマ」なのだろうが、これを同じ概念である言語になぞらえば、イメージは視覚情報とは本来的に別物であり、古代より蓄えられた記憶内にあるアーカイブであり、変換されるイメージは基本的に限界がある。…ということだ。
 従って、15世紀、最新テクノロジーによって輪郭線=アウトラインの抽出が行われた、…つまり、廊下の奥行きの「ハ」の字やテーブルの「ハ」の字の抽出が行われた15世紀ルネッサンス以前の画家や絵師を含む人類は、輪郭線=アウトライン、つまり視覚像の輪郭線、という概念は彼らのアーカイブには無かったし、その意味を包含するイメージもなかった。平安絵師が、もし、このテーブルを見たなら、彼のアーカイブに則り、その正方形の天板を平行四辺形に置き換え、思い浮かべ、そう描いただろうし、実際にそう描いた。それが彼の、このテーブル、あるいは寝殿造りの廊下やタタミにおける知覚認識だったのだ。
 しかし、15世紀ルネッサンス以降、人間は視覚情報をそのままの形で掬い取れるようになったのか。…そんなことはないだろう。知覚認識は人間の脳の機能の問題であり、その機能が新たなテクノロジーの発見により、短期間に変わることなどないだろう。今も昔も人間の知覚認識機構は同じはずだ。
 それでは何が変わったのかというと、記憶のアーカイブに最新テクノロジーによって抽出された新たなイメージ、あるいは新たな「図式=スキーマ」が、それが包含する意味と共に追加されたのだ。アップデートだ。それが上画像右奥のテーブルの絵、平面図像、つまり透視図だ。15世紀ルネッサンスにおいて最先端のテクノロジーを駆使した機械的作業によって抽出された透視図がアーカイブに追加されたのだ。
 この平面図像は、テーブルを正面斜め上からの視点で捉えたもので、左右の稜線の「ハ」の字は奥行を表している。…という内容がこの図像自体に包含されている。この内容を共有出来ない人は、現在、さすがにいないだろうが、もし、平安絵師がこれを見たなら、その内容を理解できなかったに違いない。彼はひしゃげた歪な机と理解するだろうし、又、そうした記録も残っている。彼の記憶にはそうしたイメージがアーカイブには無かったのであり、彼の現実の机の天板の知覚認識となるイメージは、絵巻にあるような、あくまで平行四辺形だったのだ。

 その彼が、右奥の平面図像の内容を理解し共有するには、つまり新しく抽出されたイメージをアーカイブに取り込むには、それなりの手続きが必要だ。それはそうした平面図像が巷に多く流布されること。そしてそれを日常的に眺めること約10年足らずで「妙なものだ、この四角い箱は歪だと思っていたが、今では真四角に見える」…となる。この文言は前出のゴンブリッチが引用した明治期の洋画家牧野義雄の回顧録にある、透視法で描かれた四角い箱を見た牧野の父のセリフでありアップデートの瞬間だ。
 長い鎖国が解かれた江戸後期から明治期の日本において、西洋から怒涛の如く流入した新たな平面図像、あるいは透視図、透視法絵画、又は写真により、急激に、短期間の内に記憶のアーカイブにアップデートとしての変更が加えられ、知覚認識される現実世界の様相が一変したのだ。純粋な図像に輪郭線という図像が加えられたのだ。

 かくして上画像の三層構造の設えは、平面図像の透視図が現実に存在するテーブルの様相としての知覚認識を規定しており、その逆ではないのだ。つまり図像が先で現実のテーブルの様相の認識が後だということだ。
 そして、このアップデートは同時に大きな弊害をもたらした。それは上にも記したように「(人間の視覚は人間である限り、あるいは正常に機能する限り)あるがままの現実世界をあるがままに捉える」という頑強な想定を植え付けてしまった。これがリアリズムだ。

 その結果、我々が知覚認識するテーブルや廊下の「ハ」の字を一切描かなかった平安絵師に対して、実は彼らもそう見え、知覚認識していたが、絵巻などの厳格な様式に従った結果、そう描かなかった。あるいは、日本人は未熟で、自我の確立が行われなかったことにより、客観的観察というものがなかった。…等々。…しかしこれは全くの独善で、根拠の無い一方的解釈だ。あるいは思考停止の信仰以外の何物でもなく、真実の探求を阻止し、成熟した長い文化の真価にもったいなくも自ら蓋をするものだ。知覚認識と全く関係のない様式など存在するのかということだ。
 又、リアリズムは概念としての言語と、物質としてのイメージを二項対立させてしまった。あるがままに捉える視覚は物質をあるがままに捉え、その物質を再現した絵画や彫刻は概念ではなく物質の範疇だということになる。この視点からは絵巻や障壁画、あるいはマンガを見誤ることになるだろう。
 ゴンブリッチが著作で絵画は概念だということを何度も何度も繰り返したのは、こうしたことへの警告だったのかも知れない。

 長くなったが、以上のことを前提とするなら、石場文子のバナナの輪郭線は如何にも示唆的だ。彼女が用いるメディアは主に写真であり、写真は正に15世紀ルネッサンスの透視法に原初を持つ。

 当時、カメラオブスキューラによりスクリーンに投影された画像に輪郭をなぞり、それを定着し絵にする。あるいは透写装置により被写体と固定された単眼との間に設置した透明スクリーンに輪郭をなぞっていく。つまり自分の単眼視覚像に輪郭線をつけていく。そして石場も対象物に輪郭線をつけていくのだ。
 しかし興味深いのは、当時の画家がしたように、スクリーンやファインダー、モニター、あるいは出力された画像の方ではなく、つまり、いわゆる視覚像の方では無く、現実の物質、現実世界の方に輪郭線を付けているということだ。
 ここで重要なのは、数学の点や線が質量を持たない、つまり実際には存在しない純粋な概念であるのと同様に、輪郭線はこの世には存在しない純粋な概念だ。しかし彼女の仕事による出力された画像には、現実世界に存在しないはずの輪郭線が現実に付いているというアイロニーにもなっているのだが、存在する輪郭線ということにおいて、概念の強調、又は、そうした知覚認識機構を顧みる一つの解釈になっていることだ。

 上記の白いテーブルの場合、黒い輪郭線を付けた途端、その様相は一変する。テーブルの質感や重量感など、そこに存在するという存在感が消え失せてしまうのだ。あるいは存在感が薄れる。そうかといって、テーブルが発する強度は以前よりも増す。存在感が消えるのだから、これは物質の存在、あるいは実在の強さではなく、恐らく形の概念の強さの増大だろう。
 本来存在しない輪郭線という平面図像からの照合によって為される現実世界の知覚認識が、実際に輪郭線を存在させることによって、よりパワーアップされるのだろう。
 こうした様相の変化について、石場文子は異次元の世界が現れる…みたいなことを言っていたように思う。
 アーカイブのアップデートは、そうした平面図像、つまり透視図や写真が巷に多く流布され、それを日常的に眺めるという手続きが必要だと言ったが、透視法を原初し、その同じ流れにある写真、画像の発達、進化により、明治の牧野義雄の頃とは比べ物にならない多量の光学映像が我々の身の周りに溢れている。
 従って、光学映像から抽出される輪郭線という平面図像のバリエーションは無意識下で増々アーカイブされると同時に、その弊害であるとした、視覚の普遍性、優位性が増し、概念と物質の二項対立という指向性も強化されているのだろう。
 石場文子のバナナの輪郭線は、こうした流れへの懐疑と受け取りたい。

 
「石場文子 個展」は2017年6月6日~11日にKUNST ARZT で開催されました
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